最初に断っておく。僕は14歳ではない。14歳どころか、世間の基準からすると、「おっさん」にあたる年齢の者だ。この本を最初に手に取ったのは、図書館。哲学コーナーに、何気なく立ち寄ったときのこと。
「池田晶子さん?そういえば、聞いたことある名前だなあ」。僕はこれでも大学の哲学科で学んだ人間である。そのときプラトンやらデカルトやらカントやらの、所謂「王道」「有名」な哲学者の本を沢山、時には「いやいや」ながら読んだものだ。
自分で選んだ道ではあるものの、翻訳のせいか、それらの哲学書は、あまりに「ゴリゴリ」すぎて読みにくい。では、解説書を読めばいいのかというと、違った。解説書は解説書でまた、はなはだ「ゴリゴリ」。
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少し「哲学を学ぶ」ことに疲れ、とまどいを感じていた頃。大学のゼミの教授が教えてくれた。「池田晶子さんっていう人の本を読むのもいいことだよ。彼女は、『そういうタイプ』の本を書かずに、色んな人に哲学するってどういうことかを、わかりやすく書いてくれてる人だから」と。
そんな追憶の中、軽い気持ちで本書を読んだときの感想としては‐池田さんは「ある哲学者の名前を出しては、その哲学者の主張した内容を解説する」といった、ただの「哲学解説者」ではなく、「哲学って何?」「人生って何?」「考えるってどういうことなの?」
と、哲学するということの源泉を追究し続けた人なのだろうかと感じたこと。つまりそれは、「人生はこのように生きるべきだ」とか、「考えるとはこのようなことだ」とかいったような、結論を与える人ではなく、「どのように」それらの問題と向き合うか。
その指標を、どこまでも僕たちに示してくださる人だということ。本書の内容はとてもすばらしいが、少し14歳が読んで考えるには残酷すぎると感じるような、ドキッとした表現もある。例えばお金の話や宗教、戦争の話などは、14歳どころか、僕のようなおっさんにもとても真摯に向き合い、考えることに労力を費やすような話だ。
しかし実際、「ほんとうの自分 ほんとうの友達」とか、「君は『誰』なのだろう?」とか、「どう考え どう生きるか」などの章に書かれている内容を読んだとき、僕のようなおっさん、いや、老若男女問わず全ての人が常に考え、吟味し、答えを出していくべき問題が含まれているのではないかと思う。
池田さんは、若くして亡くなられた。この本は、亡くなる数年前に執筆、出版されたものだ。沢山の「14歳の君」たちへ贈られたメッセージの一つ一つは、しかし、池田さんらしく、どこまでも哲学的で、批評的であると思う。
「考えれば知ることができる」の章を読めば、僕たち一人ひとりが死ぬ間際まで、考え続けねばならない存在であることを思いしらされる。それは「人間」に生まれたことの宿命とよぶべきだろうか。
(30代男性)
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