読書感想文「別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判(佐野眞一)」

「達成感がありました。」これは、容疑者に死刑判決が下りたあとの裁判員制度にて選ばれた当時27歳であった男性裁判員の率直な気持ちだそうだ。死刑に反対する気持ちはあまりないが、この本の内容を読むとなぜ「達成感があった」のか分からなかった。

 

この本を読むきっかけは、タイトルに「別海」という北海道の地名が入っていたからだ。道東に釣りにいったことがある。北海道という土地が好きで、札幌はもちろん道央や道北、函館も行った。その中で一番地味ではあるが、好きなのが道東である。

 

サケを釣り、ドライブを楽しんだ。キタキツネやエゾシカが森の中から出てくる、広々と雄大な時に厳しい北の大地と、セレブ殺人犯とがにはかに一致せず事件にも興味を持った。しかし、読み終えて印象に残っているのは犯人よりも被害者よりもこの裁判官の一言だった。

 

残忍で凶悪で恐ろしく、たちの悪い事件だと思う。犯人は刑務所から一生出てきてほしくはない。なので事件当時ニュースで見た時には「良かった」くらいにしか思わなかった。裁判員制度についても、一般の社会人の意見も必要であるし市民が裁判に真剣に目を向ける機会はとても重要に感じられる。

 

しかしよく読むと「裁判員制度で選ばれた裁判員は本当に真剣に考えているのか?」という疑問をもった。ただ「この人が犯人だとおもいます!」と強く言われて流されている様に感じたし、人ひとり死ぬことになるというときに「達成感」とは…。

 

あまりに軽すぎる感想だと思う。「人を殺した罪なのだから死んで償え」これは不自然ではないかもしれないが、やはり命は命。冤罪の可能性や、犯人の今後の可能性などすべてを考慮したうえで決めなければならないことだと思う。文字通り「悪魔祓い」のような魔女裁判に巻き込まれているように感じた。

 

だけど、これがもし自分だったら。どうしても考えさせられる。慣れない裁判の場で、本物の裁判官たちに「それは違う、こうではないか?」と意見することが出来るだろうか?他人ごとだからこそ、こうして本で読んで「ああだ、こうだ」と言えるだけではないか?

 

著者は事件の証拠の不十分さに対する疑問を投げかけながらも、もし死刑でなければ法廷を退去さあ得られる覚悟で叫ぼうと思っていた。と書いている。著者の真剣な取り組みは、情けない自分の小ささに一縷の勇気を与えてくれる。

 

不美人の結婚詐欺殺人という目を引く事件を通して、命のあり方や日本の裁判のあり方について考えさせられた。事件自体も「犯人が自分だったら」「被害者が自分だったら」と現代社会における孤独と自分とを照らし合わせてしまう。

 

(20代女性)

 

 

 

 

別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判
佐野 眞一
講談社 (2012-05-25)
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