読書感想文「神様のカルテ(夏川草介)」

4作目だというのにどうしてこのシリーズは、こんなにも毎回私の心を揺さぶり続けるのだろう。今回は、登場人物の過去の出来事を人物ごとに4つのエピソードに分けて紹介してある。どのエピソードも秀作であるが、3番目のエピソード「神様のカルテ」は現役看護師である私にとって、まさに医療の原点を指し示す指標ともいえる特別な作品となった。

 

國枝さんの選択を受け入れることは今の医療現場では難しい。昨今、大規模な医療現場では、手術件数や術後の生存率などの結果ばかりに捕らわれる傾向もある。医療従事者の満足が必ずしも患者の満足ではないことをこのケースは物語っている。そんな患者に寄り添い、苦悩する一止の姿を愚かだと笑う医療従事者も、悲しいことだが存在する。医療とはなんだろう。病気を治しても、患者の気持ちは置き去りにすることが果たして医療なのだろうか。

 

懸命に國枝さんに向き合おうとする一止の姿は、眩しすぎて正視できないほどだ。そんな一止を象徴する言葉が、國枝さんから発せられる。「あなたは優しい人だ。だからこそ、私の勝手なわがままを聞いてくれたんでしょうな。しかし、優しい人は苦労します。」一止を主治医としてだけではなく、人生の先輩として温かく見守る國枝さんの言葉には愛情と感謝と尊敬の念がこめられている。病気を治すことはできなかった。でも國枝さんの気持ちに寄り添い、國枝さんの気持ちとともに歩んだことは間違いない。

 

「優しい人ほど苦労する」それは事実だろう。だけど、「優しさ」のない医療にいったい何が残るのだろう。緊張の続く精神状態での激務。とかく「優しさ」を忘れがちになるけれども決して見失ってはならない。苦悩し自問自答する日々が続いたとしてもあきらめてはならないと思う。この作品は、そう考えるすべての人たちへの医師でもある作者からのエールではないだろうか。

 

最後にもう一つ、國枝さんの言葉に学んだことがある。「優しさというのは想像力ということですよ」なるほどなと思った。検査結果やデータを基準に事務的に行動することも「看護」と呼ぶことはできる。しかし、「寒いのか、痛いのか、つらいのか、悲しいのか」常に想像力を働かせ、それを基準に患者さんの気持ちに寄り添うことこそ真の「看護」ではないか。だとしたら「看護」は「優しさ」で成り立っているのだ。看護師である私はそれを忘れてはならないと誓った。

 

(40代女性)


 

 

この本を二度読んだ。一度目は看護師として。そして二度目は初期の乳がんで治療中だったガン患者として。一度目は偶然だったが、二度目は必然だったのだと思う。「もう一度読みたい」そう感じたのだ。

 

一度目に読んだ時、美しい小説だと思った。主人公の背景は地方の総合病院で働く私の現状ととてもよく似ていた。だが、主人公は私自身とはまったく違っていた。まっすぐに患者とむきあうひたむきな姿が、私にはとてつもなく眩しく見えた。大学病院が末期の患者さんにもうできることはないと言ったことを「患者を切り捨てたのだ」と感じる人もだろう。

 

 

しかし、現実の医療の現場で、すべての人にむきあっていたのでは、とても対応できない。「仕方ないのだ」と感じる私がそこにはいた。主人公の姿は確かに美しい。でも、こんな仕事をしていたら、いつかは倒れてしまう。それでは本末転倒だ。眩しくて美しいが、あくまでも理想だと私には思えた。

 

二度目に読んだ時、私は抗がん剤の治療を受けていた。髪は抜け落ち、顔はパンパンに腫れ上がり、体を起こすこともままならない状況で、この本が読みたいと思った。一度、読んだはずの小説であったが、今度は私自身が心の中で、悲鳴をあげていた。「お願いだから、助けて、見捨てないで」と。二度目に読んだ私の視点は安曇さんからのものだったのだ。

 

その時になってやっと気づいた。「仕方ない」ですまされないことがあるのだと。そして、看護師という職業はそのぎりぎりの世界で働いている職業なのだということを。がん患者は、孤独である。病院に見捨てられ、家族もない安曇さんの恐怖を思うと、今こうしていられる自分がありがたいとさえ思えた。

 

物理的に不可能なこともある。しかし、この仕事を選んだ以上やはり、どうしても切り捨ててはならないことがあると思う。それが何なのかを、この小説の主人公「栗原一止」は教えてくれる。私自身、がんの告知を受けた時、今まで何かで守られていた感情が衝撃で行き場を失い些細なことで、涙したのを覚えている。

 

そんな状況で、「見捨てられた」という感覚はきっと何千倍にもの傷となって安曇さんの心を傷つけ、逆に「受け入れてくれた」という事実は彼女を死の恐怖からをも救ってくれたのではないかと思う。

 

幸い、私自身の病気も完治し、看護師としての仕事にも復帰できた。理想の仕事ができているかと言われれば、完璧とは言えない。しかし、いつも心に留めていることはある。それは、「一人でも多くの患者さんに、少しでも笑顔になって欲しい」ということだ。安曇さんが最後に感じたような思いを少しでも多くの人に感じて欲しい。

 

「栗原一止」にはなれないが、せめて「仕方ない」と思った時この作品を思い出して立ち止まれる自分でいよう。今はそう思っている。

 

(30代女性)

 

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