読書感想文「銀輪の覇者(斎藤純)」

自転車と言えば、通学を思いだす。駅までの片道十五分ほど、雨の日も風の日も、ほぼ休まず自転車をこいできた。楽しかったというよりは、きつかった覚えがある。別に遅刻しそうでもないのに、また帰り道でも、何故だかペダルをかく足を緩められず、いつも息を切って走っていた。はあはあ言って行ってはあはあ言って帰って、豪雨と強風に向かって、時には雪がちらつき、また歩道に雪があっても、他の自転車の跡の上を辿って。
 
せめて、帰りくらいゆっくりこげばいいのに、なんであんな焦燥に駆られていたのかは分からない。分からないが、卒業してぱったりと、自転車に跨らなくなったから、必要がない限り乗ろうとはしなくらい、乗るのが好きでなかったのは確かだ。ただ、思い返すと、三年間ずっと、途中でやめることなく、自転車をこぎつづけたことに、結構忍耐強いもんだなと、我ながら驚かされる。
 
学校で学び成長したこともあったろうが、自転車で通学し続けた経験というのも、貴重だと思う。必要がない限りしない、しかも辛くて苦しいことをするのは、でも、後になってみれば、なんだ、自分もやればできるじゃん、と妙な充足感を覚えさせてくれる。やればできると、感じられることは、心強い。そういう経験がないと、必要に迫られたときに、また迫られる状況になったらと想像して、やたらと恐くなる。
 
たとえば、この人がいないと、この仕事を辞めたら、このお金がなくなったら、自分はやっていけない、生きていけないと。そして相手に捨てられないようにしがみついたり、会社のひどい扱いに血反吐を吐きながら耐えたり、とくにお金に関しては、過剰に人を疑ったり、敵視したりするようになる。そんな恐さがなければ、自分も笑っていられるし、人とも笑いあえたりするかもいれないのに。
 
いくら状況が辛く苦しいものになっても、人生そこでお終いというわけではない。そう思わせてくれるのが、この主人公、響木だ。印象的なのは、音楽家になる夢と運命の女性と、そして指まで失って、死に物狂いで自転車のショーレースで稼いで、やっと帰国し、そのわりには、自転車にまた乗って紙芝居屋を結構楽しそうにしているところ。
 
食うに困っての生業とはいえ、商売相手である子供から躍起になって金をまきあげるようなことはしないし、むしろお金を持っていない子供に、お金をもらったふりをして、飴を渡してやり、他の子供と一緒に紙芝居を見せてあげるという、思いやりも見せる。なにより、異国の地で、差別もあってさらに厳しいレースに挑まなければならなかった、いい思い出がないはずの、その自転車に嬉しそうに跨っているのだった。
 
彼は、自分が不幸とも惨めともあまり、思っていなさそうだ。すこしもそんな思いがないことはないだろうが、怪我をした子供を助けたことで、できた縁に、うまい話がきたとばかりに、すぐに飛びつかない辺り、誰かに助けてもらうほどのことではないと思っている。傍からすれば、助けがいるだろうにと思えるのにだ。そうやって人を寄せつけないのは、異国の地で手ひどい仕打を受けて、人間不信気味になっているところもあるのだろうが、そのくせ、あっさり人には手を差しのべる。

 
 
一応、思惑があるとはいえ、差しのべられたほうが戸惑うほどに、気にかけてくれ、さらには親の仇という相手にも、復讐心を捨ててレースの中で、フェアに向き合おうとする。すると不思議に、団体レースのメンバー、各々腹に一物持つもの同士、レースに勝つ以外に目的があるのに、彼が皆を気にかけるように、皆が彼を気にかけ、どんな魂胆があろうと気にしないというように、レースに励むようになる。
 
彼等には所属したり忠誠を誓ったりする相手がいて、はじめはその命令に応えることに必死で、応えられなかった場合を考え、恐れていたと思う。ただ、いざ、レースをして、そして響木に出会い、その能力を見いだされ開花してみれば、自分が中々やれることが、嬉しくなった。レースが苦しく辛いからこそ、乗越えられた自信は、はじめにあった恐れを、薄めてくれた。
 
もし失敗したとしても、自分はなんとか、やっていけるのではないかと、思えるようになったのだと思う。そう考えるようになったら、響木や仲間が、利用価値があるだけの存在ではなくなり、純粋に相手への興味が湧いてきて、接するのも楽しくなったのだろう。。自転車のテクニックに感心したり、他の仲間に嫉妬しつつも言い合うのを愉快がったり、つい相手が心配になってすすんで手を貸そうとしたり。
 
人は一人では生きていけないと言うが、案外そうでもないと思う。他人がいないと生きられないと言うのなら、他人はあくまで自分が生きるための、手段としての存在でしかなくなる。それは、なんだか悲しい。そう見なしたくないのなら、他人がいなくても、それなりに自分は生きていけると、思えるくらいにならないと、いけない。もし、そんな風になれれば、他人を自分になにかしてくれる存在でなく、自分がなにかしてあげたい存在に思えてくるのかもしれない。
 
他人は自分のために、存在しているのではない。当たり前のこととはいえ、ついつい忘れがちなことを、気づかされた。
 
(20代女性)
 
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