読書感想文「あん(ドリアン助川)」

ハンセン病という病について、私はほとんど知らなかった。それどころか、ニュースでその名前だけは知っていたものの、詳しく知ろうともしていなかったのである。この話を読んで、そんな自分が恥ずかしくなる思いであった。実際にあったハンセン病患者への差別…胸を締めつけられる。

 

物語自体はフィクションであるし、主な舞台はどら焼き屋という設定で和やかに進むのだが、ハンセン病だったという徳江の背景や過去を知るにつけ深く考えさせられる。ハンセン病患者は子供であろうと遠くの病院に隔離され、社会との接触が無くなるという当時の状況。残酷と言えるその環境は、国が決めたルールだけでなく、人々の無知が作ってしまったのだと思う。治る病気と分かっても、人々の差別は無くならない。

 

長い間培われて来たハンセン病への見解は、子供や孫にも引き継がれてしまうのだ。徳江は療養所でずっと暮らしており、法律が変わって外へ出られるようになっても、引き取り手がいなかったという。一度隔離され長年経ってしまい、療養所で生活するという選択肢しか残されなかった人達がどれだけいたことか。国がもっと早く対策を講じられていたら、と考えずにはいられない。

 

しかし、ネットもメディアも発達していなかった当時、今までの見解を覆して正しい情報を広めることも難しかったのではないかとも思う。現代を生きる主人公の千太郎でさえ、自分で調べてやっと、噂とは違う事実を知ることになる。そして、未だに偏見を持っている人も多いのである。思い込みの怖さを感じる。私自身、今持っている色々なことへの見解が、本当に正しいものなのか分からない。

 

でも、分からないまま、雰囲気だけで判断してしまうことこそが偏見や差別に繋がってしまうのだと強く感じた。この本をきっかけに、私自身、ハンセン病について調べたりしたが、これに限らず、よく知らないことはきちんと調べることが必要だと思った。

 

(30代女性)

 


 

 

 

 

どらやき屋で働く主人公は、雇われている店主に恩があるから、しょうがなくどらやきを焼いて接客している感じだった。近所の学生たちが食べに来てくれるし、美味しいとも言われなくても、そこそこやっていけているのだからいいか、という感じが伝わってくる。だから徳江との出会いは必然だったのだろう。

 

雇ってほしい、時給は安くていい、なんて初対面でいきなり言われたら絶対怪しいと思うのは当然だ。でも徳江の作ったあんを食べて雇うことを決めたのだから、心のどこかではお店を良くしたいと思っていたのだろうか。徳江はずっとハンセン病で隔離され、体の自由もきかず、狭い世界で生きるしかなくて、きっと「なんでこんな目に遭わなくてはいけないのか」と過ごしてきたのだと思う。

 

散歩の途中で甘い香りに誘われて、どらやき屋を見つける事ができたのも、これもまた必然だったのだろう。このままでいたくない、好きなことをしたい、世間の人たちと関わりたい、いろんな思いがあったと思う。そこで、声をかけた徳江の行動力も素晴らしいものだ。徳江が楽しそうにあんを炊く姿が(文字だけなので想像だが)微笑ましくなる。

 

好きなことができる喜びは、周りにもキラキラが伝わるほど輝いているのだと思う。私自身、以前病気で手術を受け、現在もまだ全回復しておらず少し不自由なのだが、この小説を読み終わった後、人生観が変わった。やりたいことや好きなことは、惜しまずやるべき!そのためにはアンテナを張って、ピンときたら行動する!失敗してもいいじゃないか。次の成功につながるのだから!などなど…人は行動することで少しずつでも変わっていくことができると思う。

 

後悔しない生き方をするためにも、妥協せず、やりたいことはどんどん行動を起こしていき、輝きたい。余談。この小説は映画化もされたが、小説を読む段階では映画は観ていなかった。だが、読んでいるとき、私の頭の中の徳江は樹木希林さんでしかなかった。まさにイメージぴったりだった。

 

(40代女性)


 

 

 

「あん」という題名に惹かれて読んでみると、確かにあんこが関わるストーリーではあったのだが、生きることや生きる喜びについて考えさせられた。一度目に読んだときは、物語に引き込まれていってどんどん読み進めていき、徳江さんが亡くなったときなど涙が止まらなかった。

 

ハンセン病にかかってつらい隔離生活を送り、その果てに療養所の中で亡くなったのだから、読んでいると感極まってしまい、冷静にひとつひとつの言葉を味わって読むことは出来なかった。しばらくして、もう一度じっくりと読んでみることにした。すると、徳江さんが幸せを感じたであろう瞬間が光り輝いて、私の心に飛び込んできたのだ。

 

まず、少女の頃に思いがけない病になってしまい、肉親とのつらい別れを経験した時代にも喜びの一瞬はあったと感じた。それは、お母さんが縫ってくれた白いブラウスをもらったときだ。結果的には白いブラウスを療養所で取り上げられたのだから、かなりつらい記憶になってしまった。しかし、お母さんの愛情をブラウスに感じたからこそ後々につらくなったのだと思う。

 

その後の大変な人生の中でも徳江さんの心の中では、ずっとお母さんの愛情を感じた瞬間とともに生きることができたのではないかと思う。また、一度でも社会で働くことができたことは、徳江さんにとっては信じられない出来事であり、大きな喜びではなかったかと思う。読み終わった後も、冒頭のシーンがよみがえってくる。

 

それはどらやき屋さんの前の桜の木の下で立っていた徳江さんの姿だ。雇い入れを断られても、どらやき屋で働きたいので訪ねてくるのだ。その後に働くことが実現した徳江さんの、生き生きとした姿も忘れられない。どんなにこの瞬間を待ち望んでいたのだろうと思うと、働くことができて本当に良かったと私もうれしくなった。

 

お店で働いていたことがきっかけで、中学生と交流ができたことも喜びを味わえた瞬間だと思った。中でもワカナちゃんという素直な女の子が、ハンセン病だった自分のことを避けることなく普通に接してくれたことは、生きてきて良かったと感じたのではないかと思う。つらい人生の中でも、いくつかの喜びのときがあったことに気づくことで、私も救われる思いがした。

 

(40代女性)

 

 

 

 

 

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