「人魚の眠る家」の読書感想文①
この世には狂ってでも守らなきゃいけないものがある。そして子どものために狂えるのは母親だけである。これは、6才の愛する我が子が脳死になり、その子のためにできうる限りのことをした母親のセリフである。
親はいつだって子どもの幸せを願うものである。それは、子どもが脳死になってもそうである。脳死は人の死か。もし愛する我が子が脳死になれば、自分は子どもの臓器提供にイエスと言えるだろうか。現在の日本の法律では、脳死になった場合2つの死を選べる。
脳死である場合、意識が戻ってくることはない。心臓が止まるまで、延命措置を行い、心臓死を待つか、脳死判定を行い臓器移植に協力するかのどちらかである。
自分だったら、子どもの臓器提供に協力するとは言えないのではないかなと思う。子どもの心臓は動いており、寝ているような我が子をみれば、なかなか協力します、とは言えないと思う。
この物語のなかでも、子どもの両親は、迷った末、延命措置をとる。そして、彼らは脳死の我が子に対して、コンピューターを使い自分で呼吸させるのである。さらに、機械を使い筋肉を動かすトレーニングをさせるのである。
それに対して、周囲からは避難する意見もある。母親の自己満足ではないかという声もある。けれど彼女は譲らない。子どもにできうる限りのことをしてあげたいという。
しかし、一方でその母親は、臓器移植を望んでいる子どもとその親や支援者にも出会い、意見を聞く。そしてまた、自分が正しいことをしているのか悩む。どちらの両親も、我が子のことを一番に思いながらも、相手のことも思いやっている気持ちが伝わってきた。
親であれば、子どもが一番である。けれど、こんな辛い状況で我が子だけでなく、周りのことも思いやれるというのは、すごいことなのではないかと思った。
3年という長い間、子どもにできうる限りをした両親は、最終的に、子どもの脳死判定を受け、臓器提供を行う。それもまた、驚くべき決断であるが、彼らにとっては、悩んで、最善を尽くした結果のことである。
子どもが脳死になった場合、考えたこともなければ、考えたくもない。ほとんどの親がそうであると思う。けれど、それは突然やってくる。そして、突然決断を迫られる。
親はいつでも子どもの幸せを考える。子どもにとってどうしたが最善のことか、本当に深く考えさせられた本である。
(30代女性)
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