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読書感想文「跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること(東田直樹)」

「跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること」の読書感想文

自閉症や障害にえらい人々のマニュアルは今まで嫌という程溢れていたと思うが、どれだけ研究の上に悩む本人に寄り添う術を提示されても、この本にかなうものはまずありえないというところから、この本を読み返し始めている。
 
自閉症スペクトラムの子どもをが二人、またそのボーダーと思える子どもが一人。それと聴覚障害の子どもが二人と共に過ごしている。「障害」の枠組みに何の基準があるのかよくわからない我が家の環境がうちの普通。普段である。毎日騒ぎ、飛び跳ねる子どもがいる。
 
ストレッサーになるものが目の前にあると、叫ばずにはいられないひと。自室に隠れて過ごそうと思う人、彼らの動きは様々である。ストレッサーに立ち向かう時、普通の子どもたちはどうしているのだろうか?と思いがちだけど、普通と比較しても何の意味もないことを教えてくれたのがこの本だ。
 
「そんなことはわかっている」はずだった。カウンセリングに行けば専門家は何度も普通と比較するのは無意味だと教えてくれていたはず。でもなかなか時としてそこへの理解を線で結ぶことができない。私だって人間。普通か普通でないかはわからなくなってきたけど、とりあえず人間。自分の経験則が物差しでしかなかった。東田氏は、飛び跳ねたり叫ぶことは苦しいんだ。 
 
みんなに迷惑がかかるとわかっていても飛び跳ねてしまうことに苦しんでいると教えてくれた。うちの子どもにも聞いて見た。飛び跳ねることが苦しいというか、そうすることが自分の気持ちを整えようとしている行動と、ストレスから逃げる行動と重ねているのだと教えてくれた。
 
そして、この本の存在を教えると、これと全く同じことばかりじゃないけど、自分がよく行動する時、人が不可解と思ってるであろう態度一つ一つが、意味をなさないことだと思っていてもやってしまう心情は「あるある」だと言っていた。
 
前述のえらい研究者が、どれほど自分たちを調べその対策を考えていても、対策自身の主体は「僕」たちではなく、研究者が主体なんじゃないかと思えてきた。「僕」たちが周りと共存するための方法なんだけれど、普通の枠組みに戻そうとするのではなく、「自分のままでいてもいい」と認めてほしい。
 
そのためにはやはり、障害を持つ個人が自分を自らオープンに語り、そのまだまだ知られないところを明らかにして、障害をを持つ人持たない人との「温度差」を無くすべきだと思う。自分を研究できないのか。研究せずとも、周りとうまく共存することを容易にできる術としての自分研究、探求ができる力を、特別支援学校や支援施設で学ぶうちに取り組めないだろうか。
 
自分をもっと知るって、障害の有無にかかわらず、誰もが知っていて当然と思われがち。しかし、障害がある人を目の前に自分を見つめた時、そのじぶんの不甲斐なさを思い知ることが何度となくある。そんな時、自分は極めて素直でいたいものだ。自分の生き方全てに置いて正直であるのかを問われた気分で、深く心に残っている。
 
この本は、障害を理解するための本ではない。自分自身のことを自分はこんなに知っているのか?を突きつけられている気分になった。ストレスが溜まった時、飲んで憂さ晴らしした、とか、絶叫マシーンに乗ってわーっと叫んでみた、とただそう言ってる気分と何ら変わりない。東田氏が語っている飛びはねる思考に共感できるかどうか、考えてさせようとしているのかもしれない。
 
(40代男性)

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