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読書感想文「安楽病棟(帚木蓬生)」

「安楽病棟」の読書感想文

老いることは避けられないことだ。そして、超高齢化社会と言われる現在、介護は重要な問題だ。しかし、忘れてはいけないことは、認知症の患者であれ、生まれてからその人なりの個人史があることなのだ。この作品を読んで、最初に感じたのはそのことだった。そして、認知症の患者が徘徊したり、枕頭台に排尿するなどしても、それが個性として読めてしまうのが不思議だった。
 
認知症の症状がおどろおどろしいものであっても、かけがえのないひとりの人間なのだと理解することができた。それも、主人公の新任の女性看護師と病棟で働く人々の誠実な仕事ぶりからわかることだ。認知症の看護がいかに専門性の高いものであるかを認識することができた。単に患者に対して献身的であるかだけではない。認知症の患者をまるごと受け止めることには、熟練した看護技術が求められるのだ。
 
本物のヒューマニズムが生まれるのは、看護の専門性からなのだ。看護師には、やさしさと同時に高い専門性が求められることがこの作品から学んだことだった。しかし、認知症の専門職がいるとはいっても、誰しも認知症にはなりたくはないものだ。老醜をさらしてまで、生きていたくはないと思うのが普通だろう。できれば、誰にも迷惑をかけずに人生の最期を迎えたいと誰もが思うことだろう。 
 
その患者や家族の願いに、医療はどう応えるべきなのだろうか。この作品は、認知症のことだけでなく人生の週末期をいかに迎えるかということを読者に考えさせるものでもあった。読んだ後に、私は著者から重い宿題を手渡されたように思った。海外では、オランダのように安楽死が認められ、法制化されている国がある。日本ではまだ安楽死が認められてはいない。しかし、国の財政負担が重くなるから、家族の介護を楽にするためにと、安易に安楽死を認めてもいいのだろうか。
 
また、本人が望んだとしても、安楽死を認める法律をつくるべきなのだろうか。そのように考えると、容易な問題ではないことがわかる。高齢化社会とは、単に高齢者が増加するだけのことではない。脳の疾患や認知症の患者が、増えることだけではない。どのように高齢期を生きて、どのように最期を迎えるのかを問われることでもあるのだ。介護が死とは切り離せないものであることを、この小説が気づかせてくれた。死にかたもまた、高齢化社会に問われることなのだ。
 
この作品は、認知症の介護のことだけでなく、尊厳死と安楽死について考えるきっかけを与えてくれた。自分や家族の意思で決められることは多くなったが、病も死も、自分の思う通りにはいかないものだ。安楽死は認められるか否か、それは私自身、その時がくるまでに考えるべきだろうと思った。
 
(40代女性)

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