「少女七竈と七人の可愛そうな大人」の読書感想文
桂多岐は愛の大きな人である。「やってられない毎日だ」彼女の言葉である。働くわたしと、てこでも働かぬばかな夫と、七歳から十七歳までの六人のこどもたちから成る戦場からもう十七年も帰還できていないと日々を振り返って何度も繰り返される。読んでいる私でさえそう思う毎日を彼女は戦っているのだ。そんなやってられない毎日から帰還することを選ぶことなく、折り合いをつけながら彼女は生きている。
多岐は若さには魔法があってそれを失った自分は今おばさんであると知ってもどこか明るい。あっという間に老いたことで時間の早さに驚いても、鏡に映る自分にこんなはずじゃなかったと思うだけなのだ。私も子供を産んで仕事を辞めた今、娘の成長を前に年齢を感じざるを得ない。多岐の心が羨ましくもある。彼女は毎日に追われながらも、こんなはずじゃなかったと思いながらも、人への優しさがいつもある。
てこでも働かぬばかな夫にも、バイトの男の子にも、割り切れない気持ちもあるであろう七竃にも、同じ男のこどもを産んだ友人の優奈にもだ。もう誰もわたしという女を愛していないと嘆いているけれど、彼女はそれでも優しいのだ。毎日ばかだばかだと思っている夫からのときどきの優しさに絆されてしまう多岐は、自分が一番ばかだなぁと思っているのかもしれない。
もう桂くんには酔えないと愚痴るのに、それでも桂くんに酔っていた気持ちを捨てれずにいて、やってられない毎日を続けているのだから。多岐の息子雪風は彼女をこの世で一人の逆らえない大人であるとしている。友人が産んだ七竃にとって多岐はいつでも笑みを絶やさない凜とした強い女性であり、母を忌むべき者として嘲笑われ親しくしてくれる人がそういなかった七竃を「ななちゃん」と呼ぶ六人のこどもの母親だ。
多岐がどんな思いで「ななちゃん」と呼んでいたのかはどこにも書かれていない。けれど、七竃が彼女から「ななちゃん」と呼ばれて微笑しているのだ。せまいせまい小さな町でいんらんの母ゆえに非常に肩身のせまい思いと、母への満たされぬ思いを抱える七竃。雪風が冬の初めに母多岐からマフラーを買い与えられたことを羨ましかった七竃。夢実を抱きしめて動かない母親らしい多岐の姿に胸が痛かった七竃。多岐はその思いを汲んだのかもしれない。多岐の「ななちゃん」に、彼女の大きな愛を感じる。
(20代女性)
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