読書感想文「お兄ちゃんは自殺じゃない(三笠貴子)」

日本の社会はさまざまなところに深い闇を抱えている。それは警察という公権力であっても決して例外ではない。警察が抱える闇はときに、冤罪事件や裏金問題、不祥事のもみ消しなどとして世間の光に照らされ、注目を浴びる。本書の「お兄ちゃんは自殺じゃない」はそんな警察が抱える深い闇に迫ったものだ。

 

題材は1999年12月、徳島県阿南市で実際にあった自衛官変死事件だ。筆者は死亡した自衛官の妹。遺体が見つかった直後に自殺と判断した徳島県警阿南署の捜査に疑問を抱いた遺族が、独自に調査を続け、他殺の疑いを感じるようになった過程を淡々と描いている。

 

その中で普段警察と関わることの少ない市民には、衝撃的とも思える警察の姿が次々に描かれている。市民に対する強圧的な態度、組織を守るために嘘、マスコミに対する懐柔工作などだ。私はマスコミにいて多くの警察官と接してきたが、基本的に悪い人間が少なかった記憶がある。

 

 

 

ただ、警察という組織は非常に閉鎖的で、上司の命令が絶対。どれだけでたらめな指示でも、従わなければ田舎へ飛ばされ、2度と浮かび上がることはない。それに不満を持ちながらも、やむなく従っている若い警官の愚痴を何度も聞いたことがある。そんな警官たちも時が経てば、かつて批判していた上司と同じような人物に変わっていった。

 

本書では初動捜査のミスを隠すために嘘をつき、科学的証拠を示しても決して認めようとしない警察官の姿が何度も描かれる。これは徳島県警だけの問題ではなく、袴田事件、徳島ラジオ商殺人事件、東電OL殺人事件など過去の冤罪事件と重なる部分が数多くうかがえた。

 

警察のミスをチェックする機関がないことも、警察の暴走を止められない原因の1つだ。警察を指揮するはずの検察は、地方へ行けば人員が少なく、警察の協力なしに独自調査する力は極めて弱い。公安委員会や都道府県議会も事件捜査の内容に口を挟むことはめったにない。

 

地元のマスコミが警察との協力関係ばかりに気を遣い、ジャーナリズム精神を発揮しなければ、警察の不祥事や捜査ミスが表に出ることはほとんどないのが実情だ。この事件は東京のマスコミだけが積極的に取り上げ、一時話題を集めた。遺族は徳島県警、徳島地検に新たな証拠を添えて再捜査を求めたが、結局自殺という判断が覆ることはなかった。

 

初動捜査でミスを犯したとされる阿南署長は県警で出世を続け、遺族に好意的だった全国紙の記者は左遷されている。遺族が書いた本書を読むだけで、この事件が自殺か他殺か断定できないことは分かっている。ただ、本書に掲げられた遺族の疑問に対し、県警や地検から明確な回答はほとんどなく、従来通りの主張を繰り返しただけ。これでは組織防衛のため、遺族の訴えを退けたと一般に受け止められても仕方がないだろう。

 

この事件が起きる2カ月前、埼玉県で桶川ストーカー殺人事件が発生した。被害者がストーカー被害を埼玉県警に何度も相談し、告訴状まで提出していたのに、埼玉県警が捜査せず、告訴状を改ざんして隠蔽したため、被害者が殺害されたものだ。最初の判断を正当化するため、被害者の意向を無視した経緯は自衛官変死事件とそっくりだ。

 

桶川事件をきっかけにストーカー規制法が成立したが、肝心の警察の体質は変わったのだろうか。2011年の熊谷市両親放火殺人事件など冤罪の疑いが指摘される事件は後を経たない。警察の捜査ミスが指摘された事件も、2008年の岩手17歳女性殺人事件などが浮上している。

 

一般行政に議会やマスコミの監視、チェックが必要なように、警察に対しても捜査の可視化、外部チェックの充実がなければ深い闇を消し去ることができないように感じた。自衛官の不審死に対し、警察が突きつけた自殺の判断。それに疑問を抱いた遺族が独自調査を続けた結果、警察が満足な捜査もせず、結論を出していたことが明らかになる。

 

遺族の申し立てに対する警察の対応は私たちが知る社会の公僕ではなかった。警察の裏の顔、闇の姿を表した労作であり、警察のあるべき姿についても考えさせられる。

 

(50代男性)

 

 

 

 

お兄ちゃんは自殺じゃない
三笠 貴子
新潮社
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