読書感想文「ぼくがぼくであること(山中恒)」

主人公の秀一は、いつも母親から「あんたはダメだ」と怒られてばかりだ。真面目で頼りない父に生意気な妹、出来の良い兄が二人の家族の中で秀一はうんざりしていた。秀一は何をしても疑われて怒られる。褒められる事を知らない子供である。そんな現状に耐えかねた秀一は、母親と喧嘩した勢いそのままに家出を企て実行する。

 

始めは遠くまで行くつもりもなかったが、なんと秀一は乗りこんだトラックの荷台でそのままどこかの田舎まで運ばれてしまうのだ。その道中にトラックの運転手がひき逃げをしたものだから大変だ。これがもし自分だと思うと怖くて怖くて仕方ないと思う。

 

秀一は走って村に逃げ込む。そこで出会った老人と少女の家で一生忘れられない数日間を過ごすこととなる。まず、私はこの秀一が他人には思えないのである。出来の良い兄弟に囲まれて、母親から期待をされず怒られてばかりな秀一に共感し、同情してしまうのだ。

 

母親との関係は昔も今も一度こじれると厄介なものである。秀一のように、怒った勢いそのままで家出を出来る人間はどれくらいいるだろうか。その点で、秀一は勇気のある強い人間だといえる。自分の意思ではなかったにしろ知らない村に辿り着き、見事にそこで人間関係を築いて働いて役に立つ秀一はなかなか優れた人間ではないだろうか。

 

 

 

私はそんな秀一を尊敬しかっこいいと思った。さて、その村で世話になったのが夏代というしっかり者の少女である。夏代は秀一より少し年上なだけなのに、かなり大人っぽく見える。秀一は、誰にも言われていないのに勉強をする夏代を素直に尊敬している。

 

何度か夏代より背伸びをしようとするのだが、どうも歯が立たない。秀一は夏代を尊敬し、憧れにも近い恋心を抱いていたのではないだろうか。度々、自分の小学校にいる女子や妹と比べる描写があるので、秀一は夏代のことを一人の人間として尊敬し、女の子としても好きだったのだ。

 

そんな秀一の純粋な気持ちと真っ直ぐな思いは読んでいてとても可愛く見え、気持ちいいものだった。また、夏代と老人の関係性も面白い。老人はぶっきらぼうで頑固者であるが、夏代がかわいくて仕方ないのだ。秀一をクソガキと呼ぶがそれもまた愛情があって良かった。

 

そんな夏代と老人と関わる事で、秀一の背伸びは背伸びではなくなる。秀一はこの家出で、大きく成長する事になるのだ。心の器が大きくなった秀一は、あんなに恐れていた母親も怖くなくなったようだった。むしろ母親を気の毒に思っていた。私はそんなに大きくなれた秀一を羨ましく思った。

 

母親を気の毒に思えるほど、私はまだ許しきれないのだ。私はおそらく心の年齢では秀一よりまだまだ子供なんだと思った。家族の崩壊と再生をどこか共感出来る形で書いているので最後まで飽きずにどきどきしながら読む事ができた。秀一は最後、「自分」というものを見付けたんだと思う。きっと一生しっかりと通る芯になる自分を見付けたのだ。

 

だから「ぼくがぼくであること」を母に話そうとしたのだと思う。自分は誰のものでもない。母親が知らない自分の方がたくさんあるし、誰も皆本当の自分は自分にしかわからないのだ。いつか私も、私が私であるという事を胸を張って言える日がくればいいと思った。

 

(20代女性)

 

 

 

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山中 恒
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1 件のコメント

  1. 南 璃杏 より:

    いい作文!

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