読書感想文「クライマーズ・ハイ(横山秀夫)」

御巣鷹山の航空機事故から、2015年8月12日で30年。あの時の映像は、まだ生々しく今でも鮮明に思い浮かぶ。組織の中で不器用に生きる、報道デスクの悠木。テレビドラマでは熱血漢に描かれ、英雄のようだったが原作では必ずしもそうでない。

 

報道の現場が抱える矛盾、会社の上層部との軋轢や部下からの突き上げに悩み苦しみ、もがきながら紙面を作っていく。その記事を載せるのか載せないのか、記者をどう動かすのか常に迷いの中にあり、ときに誤った判断をする。さらに家庭の問題も抱えている。強さと弱さを併せ持つ、ひとりの男として描かれている。

 

通信社の記事に頼る小さな北関東の新聞社の記者らが群馬県に日航機が墜落したことによって奮闘する。しかしそこには小さい新聞社ながら、様々な思惑が交錯する。「自分が過去に取材した大事件(連合赤軍事件、大久保事件)より大きなネタであってほしくない」「広告を飛ばすのか、飛ばさないのか」「この事故をトップにするのか、それとも地元の選挙がらみの記事がトップか」

 

見方によっては、通信社からの配信に頼る地方紙の中のクローズドな攻めぎあいの話しであり、意地悪な言い方をすれば滑稽にすら思える。ただ、それでも全国区の報道をめぐる問題の「縮図」とは言え、話の中身は濃厚だ。作者は、墜落事故発生当時、群馬にある地方紙「上毛新聞」の記者だったこともあって当時の内情が非常に生々しく、リアルに描かれている。

 

 

 

「地元紙なら、事故のことが一番詳しく載っていると思った」そうした思いから新聞を直接買いに来た遺族に悠木が力づけられるくだりは、本当にあったことなのではないかと思わされる。デスクである主人公・悠木だけではなく、大惨事の現場にいち早く到着して『見てしまった』現場のエース記者や、時に主人公と対峙する周囲の人物にまで感情移入してしまう。

 

立ち止まり、我に帰った時が一番恐ろしい「クライマーズ・ハイ」。「クライマーズ・ハイ」というタイトルは「墜落現場が山中だったからか?」と以前は思っていたが、そうではなかった。目の前の事故を報道するために自らを鼓舞し、どうにか情熱を維持しながら現場に駆け付け、ペンを走らせる。そのためには、心に一種の「高揚」が必要になってくる。スクープを前にして、その裏とりに奔走するくだりは、特にそれが表れている。

 

ただし、そうした「お祭り」の中で、「悲惨な事故を追いかけるのは、未来に教訓を残し再発を防止するため」そう自分に言い聞かせながら、矛盾に苦しむ記者もいる。「果たして交通事故で亡くなったひとりとあの山で亡くなった520人との間に、命の重さの違いはあるのか」そうつきつけられ、物語の中では誰も正しく答えられていない。

 

今はネットの時代である。まるで一人一人がメディアになったように、情報を発信していく。そしてそれが拡散されて広がり、世論を形成することもある。新聞はネットメディアに押されて斜陽だとも言われる。ただし、ネット上では、ある情報が拡散されていくうちにもともとは、誰がどんな想いで情報を発信したのかが薄まり結局それが誰の意見や情報だったのかが曖昧になっていく。

 

新聞が伝えない情報が得られるという人もいるが、それらの情報は、この作品に出てくるデスクや記者のように、自らの責任を賭して命がけで得た情報とは限らない。夜討ち朝駆け。ポケットベルから携帯電話やパソコンへ情報をやりとりする機器は進化しても、現場で取材する記者やデスクの情熱は昔とは変わらない。

 

『クライマーズ・ハイは解けた時が恐ろしい』それを知っていながらきょうも登り続ける者たちがいる。未曽有の航空機事故を前に、全力で報道しようとする地方紙のデスクや記者らが組織内の抵抗や、被害者の想いを前にした報道活動の矛盾に苦しむ姿がリアルに描かれている。その緊迫感や、登場人物ひとりひとりの想いに引き込まれる。

 

(40代男性)

 

 

 

 

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横山 秀夫
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