「わたしはホロコーストから生まれた」の読書感想文
歴史を振り返ると悲しい気持ちになる。人間の歴史は戦争の歴史だからだ。戦争によって航空機やロケット技術などの科学的発展を是とする考えもわからなくもないし、自国の主権を正当化するための手段としてやむを得ない事なのかもしれない。一方で、悲惨な出来事も起こっている。
主人公の両親はアウシュビッツ強制収容所で出会って結婚した。そのため彼は両親のようにアウシュヴィッツを生き延びた人々はどんな人生を歩んだのか、また、その子孫である自分はどのようにアウシュヴィッツを受け止め、生きていくべきかを探求し悩みぬく。
彼女の父はこの世にもういない。父の過去を知りたくても、アウシュヴィッツや戦争の事を聞きたくても聞けないのである。父の生きているうちに少し聞いてみるとその話はすぐにやめてしまい、父は泣いたという。それは悲しいなんて言葉では言い表せないことだと私は思う。
私の両親は不幸な星のもとに生まれたけど私は不幸ではないと、本書では綴られている。もしも自分ならどうだろう。食べ物もろくに与えられず、休む暇もなく強制労働させられていた両親のもとに生まれたら、両親の体験や戦争について何か特別なマイナス感情を抱くかもしれない。両親を通じて間接的に自分は不幸だと思うかもしれない。
彼女の母がスティーヴン・スピルバーグの財団にインタビューでアウシュヴィッツの事を語るシーンではホロコーストの生々しい悲惨な歴史が明るみになって怒りさえ覚えた。なぜ人が人をモノのように扱うことができるのだろう。なぜ人を「左へ」「右へ」と選別して死を与えることができるのだろう。数百年前のまだ法律が発達していなかった時代の話ではなく、つい半世紀ほど前の話である。
これが戦争というものなのかもしれない。正しい戦争というものは勝った側の論理であって第二次大戦においてドイツや日本が勝利していたなら、こうした悲惨な出来事も当然のように正当化されていたのだろうと思うとますます戦争というものの愚かさを感じる。
戦争経験を語り部から聞いたりこうした歴史を学ぶとどこか遠い過去のように感じてしまい、「今は時代が違うから」と目をそむけてしまう自分がいる。それは、今私が生きている現代においては私自身は戦争を経験することなく平和な生活を当たり前のように過ごしているからである。平和というのは今の人にとっては当たり前のことなのである。
しかし、私は、こうした当たり前の平和を享受しているだけではいつかまた同じ過ちをしてしまうと思う。戦争というのは悲惨なんだということをあまりにも今は考えていないからだ。この主人公のように両親が当事者であったという特別な環境でない人にとっても考えないといけないことであり、学ばないといけないことであると私は思う。そうすればもっと、当たり前の平和を過ごす日常に感謝さえ覚えるのだと思うのである。
(20代男性)
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