母親との葛藤や思春期のひりつくような痛みを、私はこの本を読んで鮮明に思い出した。女の子から女性へと成長していく過程で起こる身体の変化や、これから起こりうる男性との交わりなどを想像してしまうこと。母親がそれをしたことによって生まれた自分がなんとも汚らしく思えたりするのだった。でもそういうさまざまを言葉にすることはできない。それ自体が不潔にも思える。そういう気持ちが傷みとなり怒りとなり母親に向かうこともある。 表題作「乳と卵」にでてくる巻子緑子親子の今はもう巻子側にいる私であるけれども、緑子に、緑子の痛みと怒り、そして悲しさ苦しさに、自分の内側に残っている女の子が揺さぶり起こされたような衝撃を受けた。そして巻子がぺちゃんこになってしまった胸を膨らましたいという気持ちももちろんわかってしまう。 巻子がこだわったのは胸であるけれども本当にこだわっているのは女性性ではなかろうか。まだまだ女としてどんと生きていくぞというかもはやアイデンティティを確固たる物にする武器が巻子にとってわかりやすく豊胸であったのではなかろうか。
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諸々の葛藤から言葉を発することをやめている緑子はもちろん不器用であるのだけれども、酸いも甘いも知り尽くした巻子もまた不器用なのだと思うのだ。読んでいて体中が痛くなるほど彼女らは不器用に相手を思い自分を生きようとしている。彼女らのやり取りがじれったく歯がゆく見えると同時に、今ここに生きている私もまた一人の人間として女性として、家族と向き合いながら必死に自分を生きようとしているのだと気づかされる。妻や母や娘である前に私であること。いや、妻や母や娘である中の私という存在。ああ狂おしい。 この作品に描かれているのは人生のごくごく一瞬であるのだけれども、人生はそういう一瞬の連なりで構築されていくものなのだ。だから素晴らしいのだ。 私は巻子であり時には緑子でもありながらこれからも逃げずに、あちこちぶつかって火花を撒き散らしながら生きていこうと思う。
(40代女性)
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