読書感想文「ねじまき少女(パオロ・バチガルピ)」

まず、この本を手にとったのは舞台が珍しいと思ったからだ。舞台は近未来のバンコク。タイだ。あまりどころか全く小説でタイが舞台のものは見聞きしない。本書は海外SF小説であり、石油が枯渇した近未来を時間軸としている。そんな未来はありふれていたし、その代わりのエネルギー資源となれば原子力や未知の物質だ。しかし、ここにあるのはそんな姿の見えないものではなく、ありふれていて、どうしてそんなものがと言いたくなるようなもの。
 
まずその設定に驚いた。盲点だと思ってしまうほどに。次に驚いたのはその近未来はグロテスクであり、現実の可能性の一つ、間違いではないが選びたくない選択肢の一つ、と思えるような未来が書かれてある。もしそんな選択肢を選んだのなら、人間は確実に内、つまり地球だけに住み続けて宇宙を目指そうとはしないはずである。それはとても悲しいことだ。だが不思議と本書にはそんなものはない。まあ小説というエンターテイメントはそんなことを説明するためにあるわけではない。
 

 
 
物語は主人公がある果物を手にした所から始まる。そしてアンドロイド(正しくはガイノイド)と出会い、バンコクを舞台に物語が進んで行く。その文章から浮かび上がるのは鬱陶しいほどに粘りつく、蒸し暑さだ。嫌になるようだが、途中まで読んでしまえばその蒸し暑さも普通に思える。これがタイの暑さ、選びたくない選択肢が導く温度なんだと。ならばその熱に浮かれて物語を読むしかない。指がページをめくる度に段々とバンコクの路地裏を歩いていくような気分になる。
 
危険ではあるが、どうしてか歩きたくなる。むしろ危険だから良い。そんなものすらある。そしてどういうわけか日本も出てくる。京都ではウンヌンカンヌン、というぐあいだが、どうして日本が出てくるのかもなんとなく分かる。はっきり言って本書は面白く、驚くほど見入ってしまう。さすがヒューゴー賞を採った作品だ。おかしなことに、読み終わった後、ふう、とかいてもいない汗を拭く仕草をしてしまった。
 
(20代男性)
 
 
 
 

 
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