読書感想文「 ひらいて(綿矢りさ)」

この小説は、一人の女子高生の人生を私に追体験する機会を与えてくれた。女子高生の関心事と言えば、恋愛・容姿・友情だろうと思う。この本を読んで、私はそれらを余すところなく自分自身の体験と同様のレベルで、体験することができた。その理由は、綿矢りさ氏による心象風景の巧みさである。

 

私は彼女より心象風景を自在に描写し、読み手にその本来言語化不可能な精神状態を心に映る風景で伝えることに秀でた現代作家を知らない。それほど、この一作は素晴らしい。ありふれた物書きは、登場人物の気持ちを分析的な言葉で伝えようとするだろう、私はそういう現代作家の本を山のように目にした。

 

しかし、この本は、そういった描写がとても少ない。その代わりに、登場人物の内面を、まるで詩のような象徴的な言葉を重ねることで、読み手の感情と主役の感情を簡単に連結し、物語の展開に引きずり込んでしまう。この作品は、一人称であり、私たち読み手は、主人公の「愛」の心情に浸って急速に展開する恋の顛末を見届けるまで転がり続けることになる。

 

正直、綿矢りさ氏のストーリーテーラリングの技術は、この作品においては、まだ開花していない。展開は唐突な感が否めず、取ってつけた感のある人物造形の模様もある。それでいて、その欠点全てを補って余りある、読み手と主人公の内面を同化させる技術があった。

 

どうして女性である主人公が、美人で微弱な同性と肌を重ねるのだろう?どうして好きな男が愛しているたった一人の女性を寝取るという行動を起こすのだろう?普通の作者であれば、そんな行動を起こす女子高生の内面を描き切るだけの才能など持ち合わせておるまい。しかし、綿矢りさ氏は違う。

 

彼女は、そんなストーリーだろうと、そう至るだけの主人公の内面を、言語的注釈を越えた詩的象徴性で圧倒的に描写し、私に伝えてくれた。読み終えた私は、結ぼれた彼女の暗い恋情が人と人の間にある優しさに触れて「ひらいた」瞬間を確かに感じた、いや、この目で見届けた。そうして、その美しさにしばし圧倒されてしまった。彼女とともに、悲しさと狂気に満ちて恋の道をひた走った後、最高の読後感が待っていた。

 

(20代男性)


 

 

 

 

純粋な愛とは何だろう、ということをこの本は僕にいつも考えさせてくれる本だ。 普段僕のような大人が生活する中で行う恋愛には、たくさんの余計なものが付属することになる。経済性や仕事の将来性や社会的な地位だ。それらを全て取り外して、それでもその人のことが好きだと、僕は今の彼女に向かって言えるだろうか。

 

僕はこの本を読むたびにいつも考えてしまうことになる。 本の主人公は高校3年生で、大人ではないが子どもでもない時期の人間だ。でも重要なのは、彼らが全員、高校生という平等の立場で一つ所に集まり、一日の大半の時間を共に過ごすということだ。

 

同じ立場で長い時間一緒に居られるから、大人になって考えなければならない付属物とは無縁に、純粋な愛だけに突き動かされるままに行動することが出来るのだろう。この本を読むたび、僕はそんな「万能感」じみた高校生の感覚が再び自分の中に訪れてくるような気がする。それを感じたくて何度も読み直していると言っていいとさえ思う。

 

主人公は、まるで強力な磁器を帯びたみたいな力で、好きな男を手に入れる為に、平気で男の大切な手紙を盗むし、男の彼女を寝取ったりする。そんなことは人間として最低だと自覚してさえ、抑制することが出来ず、教室に呼び出した男を裸で待っていたりする。

 

ずっと昔、僕にもそんな感覚があったから、主人公の行動を非難することなんてできずに、寧ろ激しくシンクロして一気に読みぬいてしまう。実際に好きな女性を教室に呼び出して裸で抱きついてキスを迫ったことなどないが、そんな行動をする主人公が滑稽だと思いながらも、そこには主人公と共有する深い悲しみの思いが圧倒的に心を支配する。

 

誰でも恥ずかしくて人に言えないようなことをしていた時代はあって、その頃のことを忘れた人たちは、どんどん抑制を覚えて、自分を抑え込んで、会社に通っているのだとしたら、会社を辞めてバイトをしながら外国語の勉強をしている僕は、まだ精神を制御できないで、受け入れてもらえない悲しみや相手を何をしても手に入れてやろうとする激しい愛しさと滑稽さを完璧には失っていないのだろうか。 結局のところ、その答えを知ろうとして、僕はこの本に気が付くと手を伸ばしている気がしてならない。

 

(20代男性)


 

 

 

私がこの本を読んで一番に感じたことは、愛というものの不思議さである。 おそらく誰にでも誰かを愛した経験があるように、私も人を愛したことがある、特に学生の頃はみな同じ立場で恋愛できるから一層である。しかし、この本に出てきた登場人物は、誰よりも強く愛と言う感情を相手に全力でぶつけている。

 

その姿を読んで、私は真剣に誰かを愛することは、ある種の滑稽味を含むものだと知った。当事者は必死になれば成程、その姿はますます滑稽になる。だが、それを笑うことは絶対に出来ない、そう思った。その滑稽さは、見る人に悲しみを感じさせるからだ。

 

自分の全てを犠牲にして相手を愛することは、とても立派なことのように思っていた。だが、同時にすごく馬鹿なことでもある。だがそうすることしかできない、なぜなら、その相手に愛という感情で縛り付けられているから。ではその愛とは一体何なのか。 相手がどれだけ自分に対して尽くしてくれても、他の相手に夢中になって一顧だにしない人がいる、それは悪いことではないが、その人は同じように違う相手に対して献身的に尽くして、結局相手にされない。

 

そのようにしてつながる人々はがたくさんいることを思って、とても切なく思った。愛が引き起こす感情は、相手への執着や振り向いてもらえない悲しさだ。そうして、その悲しさを埋めるためにそんなに好きでない人と一緒に時間を過ごしたりしてしまう。やがて学生でなくなり、社会に出て年齢を重ねれば重ねるほど、相手が好きだという愛ではなく、経済的な事情であったり、社会的な地位だったりという、愛と言う感情から見れば附属的だと思える要素がその割合を増してくる。

 

愛という感情は、ある時期を過ぎると弱まってしまう気がした。別段、大人の恋愛を否定するつもりはないが、本当の愛というものは、若い青春の中でしか感じられないきらめきのようなものではないか。私は既に20代の後半に差し掛かろうとしていて、もう青春というには遅い。そのためか、この本を読んで、青春を過ぎてしまったという喪失感を覚えつつ、今いる彼女のことを附属的な要素なしに、純粋に愛しているのだろうかと自問した。

 

そうして、僕は彼女と一緒にこれからの人生を過ごすだろう。 それはこの本に出て来る燃えるような愛ではないが、確かに愛だ。

 

(20代男性)

 

 

 

 

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