読書感想文「いぬの日(倉狩聡)」

“泣けるホラー”を得意とする作者の二冊目の本である。ホラーと云えど怪奇性や恐怖性はかなり薄く、怖い話が好きな私はいささか物足りなさを感じるが難と云えるものはそれくらいで、ストーリーや登場人物(動物)の心理描写などキメ細かく描かれている良作なので、“ホラー”に拘る必要は全く無いのかもしれない。
 
物語は、ある日人間の言葉を話せるようになった日本スピッツ犬“ヒメ”の飼い主への不満といったささやかなものから始まるので冒頭部分からはクライマックスの凄惨なシーンは想像出来ない。
 
その凄惨なシーンでさえ、ホラーにしてはきれいにまとまっている、一体どこがホラーなのか。と、憤慨せずにいたのは、実は、意外な所に恐怖の要素が隠されていたからだ。これはとても怖い話である。飼い主に見捨てられた犬や猫達の可哀想なだけの話では無いのだ。

 
 
犬や猫を他のものと置き換えると良く判る。例えば“他の人種”“他の宗教”“他の職種”人間は自分とは違う者を見下して優位に立ちたい本能がある。その負の本能が犬や猫達に向けられている。
 
さげすまれ、殺処分されようとした犬達の怨みの暴動の描写より、作中にちりばめられているそうした人間の“見下したい、差別したい”“排除したい”という黒い本能の方がそら恐ろしい。
 
動物好きを自称している私であるが、この作中を読み、暫く考えこんでしまった。私も人間である以上、黒い本能はあるのだろう。それが人間に向けられているのか、動物に向けられているのか、それとも他の何かに向けられているのかは自分でも判らない。
 
逆に云えば私も誰かに排除される可能性は多いにあるのだ。ところで、中盤以降に主人公が入れ替わっている事に気付いた。この物語の主人公はヒメ飼い主一家の末っ子“雅史”だと思っていたが、全く出て来なくなり、雅史の犬を通じての知り合いである小高や潤一が奔走する。
 
途中で作者の気が変わったのかと思ったがそうではない。私が勝手に主人公は人間だと思い込んでいただけだった。この物語の主人公はヒメなのだ。ヒメの眼を通して見える人間の身勝手さ、残酷さ、それが一番の恐怖要素である。
 
(40代女性)
 
 
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