読書感想文「民王(池井戸潤)」

私は、現在海外に住んでいて、なかなか日本語で書かれた本を手にする機会はない。もちろん街を歩けば本屋があり、その国の言葉で書かれた書物などもあるから、本自体は周りにたくさんあふれている。しかし、母国語の文字から感じられるような香りを、外国語で書かれたページの中から感じることはいまだかつてできていない。
 
子供時代は時間さえあれば貪るように本を読み漁っているような子供だったから、母国に数え切れないほどある本に対する渇望を日々感じながら過ごしていると言っても過言ではない。人生においての最大の楽しみを置き去りにしたまま、刻一刻と過ぎていく時間を数えているのだ。そんな折、先日用あって約2年ぶりの一時帰国を果たした。
 
空港から出て、真っ先に向かったのは懐かしい香りが広がるある書店。少ない滞在期間の中で思い切り本に埋もれ、また、帰らなければならない土地へ持ち帰る宝物を見つけるべく、棚の片端から目を皿のようにして、その価値ある本を探していた。そんな中、一際興味を惹かれた背表紙を見つけた。
 
手にしてパラパラとめくってみると、その本は現職の総理大臣とその息子が入れ替わるという内容だった。子供の頃に見たアニメのような、そんな荒唐無稽な話、とは思いながらも、どうして入れ替わったのか、入れ替わって一体彼らがどんな状況に置かれ、何を感じるのか、最後にはどうなるのか、荒唐無稽なままで終着するのか、どうしても気になり、その本とじっくりと向き合ってみようと思った。
 
武藤泰山という名の現職の総理大臣は、自己の利益や立場に固執し、政界でいかに生き抜いていくか、そのために何をするかのみを考える首相だった。もちろん発言権はいうまでもなく持ち、権力のてっぺんにいる。そしてその息子、武藤翔は、なんと簡単な漢字さえ読むことができない、毎日を遊んで過ごすことが目的のような大学生なのである。
 
そんな二人が入れ替わり、息子の翔が国会答弁に出たり、親の泰山が就職面接を受けたりすることになる。それぞれが置かれた状況に戸惑いながらも、なんとか乗り越えようと奮闘するのだ。直面した出来事に対しては、所詮は他人事。入れ替わったその状況下においてだけは、ある意味守るべき論理やしがらみというのがないのだ。そこにあるのは、状況にはそぐわない正論。
 

 
 
そうして、2人は周りを巻き込みながら、お互いを理解しながら、自分自身のあるべき姿を見つけていくことになるのだ。泰山は主要国首脳会議に参加して、各国首脳と記念撮影をしたいという夢があった。これだけを聞くと、実に馬鹿らしいと思う。何でそんなことを口にできたのか、不思議でならない。国政を良くしたいと思って邁進するのが政治家ではないだろうか。
 
そんな泰山は、息子のかわりに受けた3つの面接で、面接官を論破してしまった。総理大臣を務めるほどの能力があるのなら、面接で当たり障りの無い受け答えをして、面接官に気に入られることだってきっとできたはずなのに、 なぜ、泰山は息子のために、そういったことができなかったのだろうか。政治家として、自分たちが力を入れてきたことに対して、相手に軽んじられ、どうしても許せなかったことももちろんあるだろう。
 
しかし、根本には使命とそれに対する熱情があったのだろうと思う。だからこそ、翔がスキャンダルに対し熱くなる議員やマスコミに対して、正しいことはなんなのか、政治がどうあるべきなのかを、むちゃくちゃながらも自分の言葉で話す姿を見て、徐々に自分自身に本当に大切なことはなんなのかと問いかけ、初心を思い出す事ができたのだと思う。
 
泰山や翔が最終的に己の志を高く持って行動し始めたのを見て、私は、どのような状況下でも、自分の中にある「正しいと思うこと」に対して行動し、それに自信を持って生きていってよいのだと、改めて思うことができた。周りを見れば、正しくないことを平気でする人がいて、その人が利益を受けていたりするが、それができない自分はなんら間違っておらず、自らを要領が悪いものと軽んじなくて良いのだと。
 
(30代女性)
 
 
 

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