「レ・ミゼラブル」の読書感想文④
最初にこの書籍が日本では原題通りの「レ・ミゼラブル」というタイトルと「ああ無情」という日本語タイトルで翻訳出版されている事、書籍により一部の翻訳が異なっていたり、一部カットされている場合がある事を先に述べて本題に入る。
この作品は映画や舞台にもなっているので名前だけなら聞いた事があるという方々もいるだろう。特に冒頭にある銀の燭台のエピソードだけ切り取って教科書に掲載されている事も多い作品である。
この作品の舞台となるのはフランス革命の前後の時代のフランスで、作中に実際のフランス革命の描写を織り混ぜる事でメタフィクションとしての側面もうかがえると言って過言ではないだろう。
最も有名な冒頭の銀の燭台のエピソードで教会から銀の食器を盗んだジャン・バルジャンをミリエル司教は咎める事はなく許しを与えて「それは差し上げるが、人の為に役立てなさい」と言ってさらに銀の燭台を渡して諭すところにも言えるが、この作品の根底にあるのは博愛である。
そもそも最初のエピソードでジャン・バルジャンが投獄されたのは自分の私利私欲ではない。貧困から満足に食べる事すらままならなかった家族の為に1本のパンを盗んだ事で19年もの間投獄された。
そして出所後も行く先々で冷遇され続けた結果、人間不信から魔が差して銀の食器を盗んでしまった。しかし、ミリエル司教はそのジャンに許しを与えて人の為に使う様にと盗まれた銀の食器に加えて銀の燭台を与えた。
教会から銀の食器を盗んだジャンは捕まった時に食器は貰ったと嘘をつき確認の為に教会に連れていかれた際には覚悟していたがミリエル司教の許しを受けて呆然としたが、改心していく。
ここまでの話は有名であるが以後の物語ではジャンはミリエル司教に諭されてから人の為に生きる様になっていく姿が描かれていく。それこそ偶然知り合っただけの他人の為にとか自分と関わった人間に対して少しでも手助けが出来れば自己犠牲を払っていくようになる。
この作品は現代人こそ読むべきものではないだろうか?ぎすぎすした人間関係で誰しもが人間不信になっていてミリエル司教の様な無欲で他人を活かす様な人は皆無な時代には一読して人間愛を考えて良いのではないかと考えられる。
(20代男性)
















軽蔑の対象である(笑)
何も与えずに人を変えられる人なんているんですか?
十代で数ヶ月掛けて読み終えた本書を、六十代の今読み直しました。ユゴー特有の脱線があんなに辛かったのに、今は興味深く読めている自分に驚いたりしています。本書で語られている悲惨は、決してあの時代やフランスに限ったものでなく、現在の日本に違った形であれより大きく横たわている現実なのだと、実感しました。本書の冒頭にあるユゴーの言葉を、もう一度読み直しました。
あ
い
う
中2です
宿題で参考にさせて頂きたいのですが宜しいでしょうか?