「それから」の読書感想文①
学生のころ、学校の行き帰りにバスに乗って、ぼけーっとしているのが好きだった。たまに本を読んだり、テストの日は教科書や参考書を見ていたが、たいていは、バスに揺られて何もせず、何もしないでいるのが、心地よかったように思う。
今から思えば、片道四十分、無駄にしていた。でも、時間を無駄にするのが苦痛ではなかったし、有意義に過ごすべきだと奮起することは、結局三年間なかった。何故なのか。
おそらく当時、有意義と思えることは、自分にとってではなく、他の人や社会にとってのもの、ばかりだったからで、その「何か」のために労力をかけるのが、本音では面倒だっただろう。
学校に行くのは、有意義なことの最たるものに思えるが、そのくせ毎日嫌々行っている学生もいるし、そこまででなくても、毎日行くのが楽しみと思う人は少なく、なんとなく通っているというのが、多そうだ。
そして、その頃の私もそうだったように、なんで学校に行かなければならないのか、本当は分かっていない。将来のためだから、社会に出ても恥ずかしくない人間になるためだとか、親や教師の言うところも、もっともだと思いつつ、今一心に響いてこない。
というのも言葉が足らないからだ。言っていない部分を合わせると、将来無職で家にひきこまれたら困るから、社会に出て恥ずかしい人間になったら「どういう育て方をしたんだ」「教育をしたんだ」と責められるのが嫌だからとか、になるのだと思う。
要は子供に学校に行ってほしいのは、自分の都合のためなのだ。主人公の代助も、学校に行きたがらない子供のように、わがままに見えて、それをどうにかしようとする周りの人間のほうが我欲に走っていたりする。
結婚するのを渋っていたら「じゃ、少しは此方の事を考えてくれたら良かろう。何もそう自分の事ばかり思っていないでも」と父親に怒られる。対して代助は突然父が自分を離れて、彼自身の利害に飛び移ったのに驚かされたと言っている。
一読すると、親不孝なことをしておいて、まあ居直っちゃってと眉をひそめられそうだが、蓋を開けてみれば父親の仕事に便宜がある結婚の話だったと知れる。
この一件を見るに、人が人にお前は自分の都合しか考えていないと責めるのは、なんで私に都合のいい存在でいてくれないのだと駄々をこねているのと一緒だと分かる。
それでも、言われたほうは中々代助のようには考えられず、自分の身勝手さを恥じてあらためようとしがちだ。そうして、人の都合に合わせて生きるのに疑問を持たなくなる。
学生のころの自分もそうだったのだろう。といっても、無理をしていたのだから、そりゃあ窮屈さや息苦しさを覚えていた。何かしていないとすぐに周りに咎められそうで、びくびくしていた。だからバスの四十分に救われていたのだと思う。
登校するという形さえとっていれば、座席に座っているだけで別に何もしていなくても、誰も責めたり指図をしてこないからだ。代助の考えによると、人間はある目的をもって生まれてくるものではないらしい。
人は何かのために生きていると思うのが普通だが、その「何か」が、実は曲者なのではないかと、この作品を読んで思わされた。
(20代女性)
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