読書感想文「老人と海(ヘミングウェイ)」

作者ヘミングウェイはノーベル文学賞を受賞されているが、それはこの作品「老人と海」の功績が大きいと言われている。この物語のあらすじは、キューバに住む不漁続きの老いた漁師が、数日をかけてようやく釣った巨大なマグロを持って帰ろうとする途中に、何度も鮫に襲われて、獲物を食べられてしまいながら何とか帰還する話である。

 

この作品の魅力は、何といっても潮風が香ってきそうな「情景描写」や、魚や鮫と対峙する主人公の老人の「心情を吐露した独り言」にあると思った。それらには、自然を「敵」あるいは「征服するもの」とみなすのではなく、魚や海鳥、そしてやつけるべき鮫にすら、海に共に生きるものとして、人間対自然と言う二項対立を超えた自然観が流れている。

 

獲物の魚や退治した鮫に対しても、主人公は、ある種の敬意を払っていた。「生命への畏敬」と言う概念でノーベル平和賞受賞した、シュバイツアーに似た考え方を、ヘミングウェイも持っていたのではないかと私は感じる。

 

「幸運というのは、色々な形で現れるものだ。何が幸運かなんて、分かるものじゃない。ただ、どんな形にせよ多少は手に入れたい。代金は払おうじゃないか。灯りが映る空が見たい、と彼は思った。望みはたくさんあるが、今一番欲しいのはそれだ。」

 

この言葉は、儲けられるはずだった獲物を駄目にされて失ってしまった貧乏な主人公の心情である。星空の対価に、獲物を鮫にとられたのだと彼は言っているのである。自然は時に、人間にとって不利益な事をするものであるが、そのことを長年漁師をやっている主人公は、身に染みてわかっているのであろう。

 

この作品が書かれた1960年代のアメリカは、大量消費社会の全盛期である。大量生産、大量消費と言う人間優先の社会に対して、ヘミングウェイの発想は、「大きな恵みを施してくれたり、くれなかったりする自然の一部人間がいるという考え方」だったと思う。今でこそ「エコ」が叫ばれて久しい世の中ではあるが、当時の社会にはこのような発想はマイノリティだったのではないか。この作品は、当時の社会に対してのアンチテーゼなのだろうと思った。

 

(30代女性)


 

 

 

この本の主人公はキューバの海辺に住む老漁父サンチャゴという人の巨大カジキマグロと格闘の末、最後には釣り上げるという非常にシンプルな話なのだが、読み終わった時には清々しい気持ちになること間違いなしという小説だ。

 

最初この本を読む前は、紹介文を読んで、単なる年老いた釣り師のある日常を描いた平凡な作品と思っていたが、実際は外面の描写の見事さといい、自然と人間の闘いという普遍的なテーマといい、かなり深い内容だと感じた。

 

老人は釣り仲間の中でも年をとっているため、周りからはなめられているのだが、友人でもある村の少年はこの人が大好きで伝説の釣り師と信じて疑わない。ある日、老人は沖に出て、大きな獲物を見つけ、針をかけることに成功するのだが、その獲物はとてつもなく大きいカジキまぐろだった。

 

大きいだけにパワーもあり、この老人の力ではなかなか釣り上げる事が出来ない。そうしているうちに日も暮れ、小さな小船はその巨大な魚に引かれながらしばらく一緒に海を旅することになる。その間、飲み水も食べ物も底を尽きてくるのだが、老人はしぶとく生き続ける。

 

また、そのうちに血の匂いに引き寄せられた鮫がやってきて獲物をかじってしまったり、空腹や太陽が照りつける中、朦朧としながらも獲物を離そうとはせず、最後まで諦めず手を緩めない。そうして、何日も海を彷徨うと言うとても単純な話なのだが、自然の状況描写が見事で、本当に自分がそこを旅している気にもなれる楽しさがある。

 

特にここに描かれている人物像はまっすぐに生きる人間の美しさやたくましさが見事に表現されていて、人間が大自然の中で生きて行く大変さやそれを乗り越えていく強さなどを学ぶことができる良い作品だ。

 

この小説はほとんどが老人とカジキの闘いで構成されており、シンプルながらも自然の怖さがしっかり伝わってくるし、老人の心の内面描写もしっかりされていて、満足できる作品だ。この小説を読んですぐに海釣りに出かけたのは私だけではないだろう。

 

(40代男性)


 

 

 

「老人と海」はヘミングウェイの名作であり、若い頃大人に読むように言われた覚えがある。しかし反抗期の私はその本をチラリと読んだだけでやめてしまった。あまり面白いとは思えなかったからだ。中年になった私はこのまま世の中の名作を読まずに死ぬのが惜しくなり、やっとこの本も読んでみたのである。

 

感想としては「素晴らしく感動した」の一語に尽きる。とりたてて何か事件がおきるわけではない。年老いた漁師が漁に出かけ、見たことのないような大きな魚を釣り上げる。それなのにその帰り道サメに襲われ魚を食われてしまう。ただこれだけである。ほとんど状況説明と老人の独り言で物語は淡々と説明されている。何故感動するのか改めて思うと不思議である。

 

ただ言えることは、この物語は「なんの特技もない普通の人の物語」では決してないということだ。老人はおそらく少年と呼べるような年齢の時から海に出ている。色々な経験を重ねた大ベテランのはずだ。その老漁師でさえ「見たことのない」大きな魚がしかけにかかるのだ。そこから老人と魚の死闘が始まる。

 

一対一の戦い。老人の全てのこれまでの経験から得た知識と知恵とをフル稼働して、全ての気力体力を振り絞って戦う。言ってみればこの小説は老人の冒険の物語なのである。特筆すべきはその精神力だろう。魚が疲れるまでじっと待つ。そこまで一日以上かけるのである。精神的にタフでなければそんなことは出来ない。

 

小さな船の上で片時も魚の動きに目を離さず待ち続ける。しかも老人は食料を持って来ていないのである。口にするのは一本の瓶に入れた水、そして途中でエサにするために釣った小魚である。私なら一日で音をあげるだろう。ロープを切って帰ってしまえばいいのだから諦めるのは簡単なのである。

 

しかし、老人はあきらめない。それは漁に熟練しているため勝算があると分かるからだろう。老人は自分の仕事に誇りを持っているのだと思う。だからこそ、滅多に出会えない大きな魚をどうにかして釣ってやりたい、自分の力でどこまでやれるか試してみたかったのだろう。老人はこの魚が釣れたらいくらになるだろうと考えはする。けれど、それだけでは無い気がしてならない。

 

やっと魚が疲れそろそろ引き上げられるという時には二日目に入っていた。気を失いそうになりながら老人は自己記録最高の大魚を仕留めるのである。こちらも一緒にうれしくなってしまった。ところが、だ。魚が大きすぎて船に乗せられないため仕方なく船に横付けにして老人が帰途に付くと血の臭いを嗅ぎつけたサメが襲ってくるのである。

 

魚は食われてしまう。必死の抵抗も虚しく、老人の手元に残ったのは魚の骨だけだったのだ。しかし老人は打ちひしがれないのだ。確かに魚が食われたことは悲しい。しかしその漁で学んだことをさっそく生かすことを考える。まったくなんて爺さんなんだと言いたくなる。私ならともう二度と漁には行きたくないかもしれない。

 

この素晴らしい精神それに触れるのがこの本の醍醐味なんだと思う。老人は有名でもなんでもないし外の人から見ればただの貧乏な漁師にすぎない。けれどその中にまるで宝石のように美しい精神がひっそりと息づいているのである。私もこの先決して有名にもならないし、人から大して尊敬もされないだろう。

 

でも誰に気付かれなくてもやはり正直に一生懸命生きていきたい。この老人には決して及ばなくても。そして、普段なにげなく行き過ぎてゆく人の中にもそんな宝石の心を持った人がいるのに違いない。どんなに普通の人であってもある程度の年齢の人は何かのベテランなのに違いない。そう思うとたまらなく人が大切に思え、この世の中を信じられる気がするのである。

 

(50代女性)


 

 

 

私は、40代の後半に差し掛かった中年サラリーマンである。この年になると、同期入社の中でも、出世の格差が明らかになり、片や部長、片や係長というように会社における地位もはっきりしてくる。ともすれば、これまでの自分の仕事を振り返り何がよくなかったのか?と考えてしまうこともありがちだ。

 

決して、いい加減にやってきたわけではない。その時その時を全力でやってきた。成果もあげてきたはず。などの思いが頭の中を駆け巡ることもある。以上、長々と中年サラリーマンの鬱屈をただただ書いたが、私がこの本の感想を書くうえで、どうしても書いておかなければいけない思いなのだ。

 

この本に出合ったのは、4年前。1か月後の転勤の辞令が出た日のこと。当時、私の抱えていたプロジェクトはうまくいき、結果も出始めていた。取引先との信頼関係も固いものになっており、このまま、プロジェクトがテイクオフすれば成功し、大きな評価につながると思っていた矢先の、いきなりの異動の辞令だった。

 

決して、左遷や理不尽な異動ではないが、いよいよと思っていたこのタイミングで?と困惑した。目の前の大きな魚を逃した気分で、ひどく落胆した。その時、本屋で目に留まったのがこの本だった。

 

以前からタイトルは知っていたものの、読んだことはないこの小説を購入し、読み始めた。ストーリーは単純なものだった。ある老人の漁師が、何か月も不漁に見舞われながらも、毎日沖に出て漁を続けている。周りの人たちも、あの老人には悪い運気がついているので、ダメだと見放している。毎日、老人は小舟に乗り、沖での漁に出かけていく。

 

そんなある日、これまでボウズ続きだった老人の竿に、大きな獲物がかかる。これまでに見たことのない巨大なカジキマグロだ。老人は知恵と体力の続く限り、長い時間これと格闘しついに仕留めることに成功する。しかし、仕留めたものの大きすぎる獲物は、老人の小舟に乗せることができない。

 

そこで舟で引っ張って港に帰っていくのだが、長い帰路をたどり、港に着くと、巨大なカジキはサメに食われてなくなってしまっていた。という内容である。読後、私は、自分が落胆していたというその気持ちの甘さに打ちのめされた。

 

この物語のあらすじだけを見ると、ついてない老人のさらなる悲劇だが、決してそういった内容ではない。物語の中で、この老人はつねに毅然としているのである。哀れな様子など一つもない。彼には大漁や大きな獲物を仕留めたことによる目先の名誉や称賛など眼中にはない。

 

漁のプロフェッショナルとして、大きな獲物と戦い、自分の力を出し尽くし仕留めることに誇りを持っているのだ。わたし自身、巨大なカジキほどではないものの、成功する寸前で、大切なプロジェクトを手放さざるを得なかった。そこでの落胆には、来るべき称賛を期待していた面が含まれていたことは否定できない。

 

この本を読み、自分のこの気持ちは、なんてちっぽけな自己憐憫なのかと気づいたのである。獲物との格闘を終え、港に着くと、老人は疲れ果て眠る。ただ、明日からの漁のために、疲れた体を休めるためだ。

 

わたしにも明日はやってくる。いつまでも落胆してはいられない。しばらくは、なにも釣れないボウズ状態が続くのかもしれない。しかし、私もいつか来る大きな獲物を仕留めるため、老人のように心に誇りを持ち、毎日を生きてゆこうと勇気づけられた。

 

(40代男性)

 

 

 

 

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