読書感想文「君の膵臓をたべたい(住野よる)」

「君の膵臓をたべたい」一発目のインパクトにやられた。なんの本なんだろう。カニバリズム的な類なのか。それにしては桜色の淡い色調の表紙につかず離れずの高校生の男女がふんわりと描かれている。完全なるジャケ買いだった。

 

金額や手に収まるサイズ感などから文庫本が好きな私としては珍しい買い物だった。きっと恋愛ものだろう。でも恋愛の中で膵臓が食べたくなる感情って? なんとなくいつもはしてもらわないブックカバーを店員さんに頼み、多少過激とも思われる表題を隠した。

 

帰宅までそわそわとした気持ちを抑えられず、私は電車の中でそっと表紙を開いた。主人公は「君」と示されたり、「クラスメイトくん」と呼ばれたり、「×××」と隠されたりしながら最後まで名前が出て来ない「僕」。

 

そして共病文庫の持ち主であり、膵臓に疾患を患い僅かな余命を満喫しようとしている山内桜良。「僕」は病院でふと目にしたノートを見つけた。表紙には共病文庫。なんとなく開いたそこにはクラスメイトである山内桜良は余命が残りわずかだということを知る。

 

思いがけず秘密を知ることになった僕は、半ば強引に彼女の「死ぬまでにやりたいこと」を遂行する相棒として振り回されることになる。少し引っかかったのはとても大人びた言葉を使う高校生達だな、ということである。

 

僕、は他者とのコミュニケーションを極力避け本の世界に没頭していただけに論理的かつ冷静。彼が大人びた(ある意味古めかしい)言葉を使う事にはなんら疑問はなかったが、気になったのは山内桜良である。

 

自身の疾患や死を自虐的に、きっとこれ以上ないレベルのジョークにして飛ばす。そしてドヤ顔をかます程である。これこそブラックジョークというのかと感服した。それに対して僕は死に対する軽々しい言動に逆に戸惑ってしまう反応すらある。

 

そしていつも明るく、死というものに独特な価値観を持つ。この年代に余命宣告をされれば完全にうろたえ泣きわめく日を過ごしそうだが、そうではない。この子、本当に死ぬのかな? と思わされるぐらい活発なのである。

 

しかし、後半になって感じる明るく活発な彼女の背中から見え隠れする死への恐怖。ああ、やっぱり怖いよね。ここでなんとなくホッとした自分がいた。死が怖くないわけがない。ましてや高校生、これからの生活がキラキラ輝いている年代だ。

 

彼女はひとりが、そして忘れられることが怖いのだ。彼と一緒にいることで心を蝕む恐怖を払拭しようとしているのだ。そう考えると切なくて仕様がなかった。死ってすぐ傍にある。明日、明後日、何年後、ゴールとして確かにある。

 

しかしそこまでのプロセスがよく見えないがために蔑ろにしてしまう。考え直そう。明日あたりにでも出不精な彼を誘って、ホルモンを食べながら「私が病気ならどうする?」と聞いてやるのだ。きっと彼はうろたえるだろうがそれでいい。

 

お互いをもっと大事にしよう。いつ死ぬか分からないなら必死に今を生きて、君を大切にして愛を語る。読んだあとはそんなほんのり寂しい気分だった。少し自分に触れる人を大切にさせてくれる、そんな気持ちにさせられる本だった。

 

(20代女性)

 

 

本を選ぶ時はどういったものを選ぶのか。帯やあらすじなどを見て選ぶことが多いと思う。私がこの本に出会った理由はタイトルに衝撃を受けたからだ。「君の膵臓を食べたい」これだけ見てもさっぱりわからないだろう。どういうことなのだろうと気になった私はこの本を読むことにした。

 

最後まで読み終わった時頬を伝う涙とともに私はスッキリした気持ちになった。なぜならタイトルの意味が痛いほどりかいできてしまったからだった。病気の彼女は病気なんて嘘だと思わせるくらい明るく彼女の周りにはいつも人が集まった。

 

そんな彼女とクラスの根暗と思われた男子が出会い、恋におち、最終的には彼女は病気ではなく事故で亡くなってしまう。私はもし大切な人が突然なくなってしまったらと考えた。今私は実家で両親と暮している。大切な両親が突然いなくなったらと考えると怖くてどうしようもできない。

 

またきっと、今まで私が両親に対して冷たい態度や、反抗をとっても悔やむだろう。どうしてあのときもっと優しくできなかったのかとか、どうして困らせるようなことばかりしてしまったのか、親孝行はできているのだろうか、と後悔ばかりしてしまうと思う。

 

人はよく失ってからその人の大切さに気付くと言う。これを考えると人間は儚く愚かな生き物ではないかと思う。その時の気持ちはその時にしか伝えられない。だが、人間は「明日が来ない今日もある」ということを知らない。だから、ありがとうと思った時はその思った時に声に出して伝えなければならないと思った。

 

ありがとうだけではなく好き、愛してる、大切などの言葉も思った時に伝えなければならない。いつまでもその人が自分のそばにいて笑ってくれるとは限らない。これからは思った時に感謝の言葉などを伝えていきたいと思わせてくれる本だった。

 

この本で言うと彼は彼女にとっての最高の告白である「君の膵臓を食べたい」を言おうとした時に彼女が病気ではなく突然の事故により他界してしまう。いつどこで何が起こるかわからない。これから短い人生か長い人生かは誰にもわからないが日々を大切にしていきたいと思う。

 

(10代女性)

>>住野よる作品の読書感想文はこちら

 

 

住野よる先生のデビュー作『君の膵臓をたべたい』で、世の中は平等であることを初めて知った気がする。病気などで余命宣告されれば、残りの人生をどう生きようか考え始める。周りの人は余命宣告された人に対して同情して、どう接したらいいのか分からなくなるかもしれない。

 

でも、それは間違いなのだと感じた。『君の膵臓をたべたい』の本文中にも書かれているように、死ぬ可能性はみんな平等にある。突然、交通事故にあうかもしれないし、犯罪や事件に巻き込まれるかもしれない。

 

余命がないからといって、今日明日に死ぬことはないという保証はどこにもない。余命宣告されれば、死が急に近づいたように感じられるが、そうではない。健康でも不健康でも、人が死ぬ動物である以上、私たちはいつも死と隣り合わせだ。この作品は、そのことを教えてくれた。

 

自分の死、というものも隣り合わせにある。あまり実感はないが、そう思うようにした。今まで、特に最近はだらだらと毎日を過ごしていた。しかし『君の膵臓をたべたい』を読んでから、自分にも時間はないかもしれないと考えるようになり、このままでは良くないと思った。

 

いつ死が訪れるのかなんて分からない。分からないから、日々をもっと楽しんで、人生を謳歌するべきだ。後から後悔しても、死んでしまったらどうしようもない。だから、私は自分の人生をもっと楽しもうと考えた。興味はあったけど、なかなか手を出せなかった護身術に挑戦してみた。

 

本を読む前は、歳をとってからでも始められると考えていた。大人になったらやってみよう、と考えていたものは多くあった。しかし、30代、40代まで自分が生きているかなんて分からない。死ぬ直前に、あれもこれもやっておけばよかった…なんて後悔することばかりになりそうだと思った。

 

やりたいことは、今やるべきだ。もし挑戦してみて、何か違った…と後悔することになったとしても、やらないで後悔するよりはずっとマシだと思う。『君の膵臓をたべたい』を読み終えて、私はそう考える。

 

(10代女性)

>>住野よる作品の読書感想文はこちら

 

 

私は去年入院してた時に「君の膵臓をたべたい」を読んでみてとても感動的で面白く記憶に残りやすい素敵な作品だと感じれる作品だ。本の帯にも後半から泣けると大々的に書かれていたので感動系なのだとすぐにわかり感情移入しやすい話である。

 

話の内容は主人公の少年と膵臓の病気をもつ少女との物語だ。最初はただの同じクラスというだけの何の関わりのない関係だった二人だったがある日を境に主人公の少年が少女の病気の秘密をしってしまいそこから物語が進んでいくのですが最初の二人のよそよそしい感じと少しずつ二人が仲良くなっていく感じがとてもいいなぁと思わされたものでる。

 

少女の人間性というものはクラスでも明るく元気で人気の高いというキャラクターですがその背景にはだんだんと膵臓の機能が働かなくなっていくという難病を患っているがそのことを考えながら読んでいくととても悲しい気持ちになるのがそれでも毎日を楽しみながら自由に生きている姿がかっこいいとも思えるように描かれており書き方がうまいなと実感できるものだ。

 

特に少女が親に嘘をつき主人公の少年と旅行に行く場面が特に面白い部分である。いくら秘密を知られてから仲良くなった相手であり恋愛的関係になる相手だとは言えど男女だけで旅行に行くあたりは私にはできないことなので少々活発すぎると思えたほどだ。

 

彼女は自分の命があとどれくらい持つのかなどきっと分かっていたからこそ後悔のないようにと思ってしたことなのだとは思うのだがそれなら家族や仲のいい友人と過ごし思い出を作ったほうがいいのではないかと思わされる部分である。後半部分からは帯に書かれていた通り涙なしでは読むことが出来なかったところである。

 

主に彼女の病気が悪化し検査や入院をすることが増え刻一刻と命が削られていく場面なのだがこの場面に到達するまで彼女の病気を知ってるものは彼女の家族と少年だけだというところも彼女なりの優しさも見えてくる部分だ。

 

最終的に彼女は亡くなってしまうのだが彼女の遺品に少年へのメッセージが残されておりそこで少年は彼女のことをどう思っていたのか気づくのだがその場面が私の一番のお気に入り箇所である。

 

(10代女性)

>>住野よる作品の読書感想文はこちら

 

 

このタイトルを読んだときなんとなく内容が理解できた気がしてしまった表紙には高校生くらいの男女二人がいる病気が絡んでくる恋愛ものだろうありがちだけれどもタイトルに惹かれ読んでみたくなった初めに不思議な書き方をするなと思ったのは主人公の名前がなかなか出てこない

 

なんと最後の方まで出てこなかったでもところどころに主人公の名前に関するヒントは隠されていたのでこんな名前だろうか考えるのも読者を楽しませる手法だったのかも知れないこの物語は男女二人の相手の名前の呼び方に対してもかなり考えて書かれているこれは二人の心の距離が徐々に近付きつつあることを暗に物語っておりこの手法もなかなかに珍しかった

 

肝心の物語の内容についてだが表紙の帯にどんでん返しがありましただの本当に泣いただのタイトルに騙されないで下さいだと書いてあったが私は表紙とタイトルだけで内容が大体わかった気でいたので騙されてなどいない思い込み読み進めていった傲慢であった私も結局騙されたうちの一人だまさかあんな展開が待ち受けていたとは

 

その展開はさすがに読めなかった読み終わってみたらところどころに伏線は張ってあったのだがこの話は高校生二人から私が命がいかに大切であるかを人生はいつ終わるかなんてみな等しく平等に分かり得ないのだと教えてもらった作品である誰しもの明日が保証されていない日常生活を送る中で当たり前に気付けていたと思っていたことを本当はわかっていなかったことに気付かせてもらった

 

一日一日を大切になんて口では言えるけれども常にそれを考えてみなが生きているとは考えにくい私は常に考える必要まではないがたとえ明日私が死ぬことになったとしても後悔はしないだろうなと思っている貯金も少しながらある日記も毎日つけているでもいざとなるときっと怖い

 

死ぬことがあらかじめわかっている人間の怖さといきなり生を奪われる人間の怖さは絶対に違うが死ぬのはきっと誰しもの怖いのだだから生きるのだだから生きたいのだ私は明日も明後日も生きたいそう思える作品だった

 

(20代女性)

>>住野よる作品の読書感想文はこちら

 

 

この本の話題性とも言える題名の強烈さと、泣ける本、No.1と書店で常に紹介されていたため、気になり本を手に取ってみたのがきっかけだった。軽く立ち読みするつもりで、本を開いてみたら独特なキャラクターのやり取りに目が離せなくなり、気付けば購入していたのである。

 

ストーリーのおおまかな展開としては、主人公の僕が偶然にも、ヒロインの桜良が余命わずかであることを知り、人生最後にやり残した彼女のわがままに付き合っていく、、という話である。いわゆる余命わずかなヒロインに最後まで添い届ける感動的な王道ストーリーを期待していたのだが、これが全く期待を裏切るものであった。

 

まず、ヒロイン桜良が自分が余命わずかな病人であることを自虐ネタとして、主人公「僕」とのかけあいを楽しんでいるのである。自分に残酷な運命が待っていると分かっているにもかかわらず、残された時間を全力で楽しもうとする「桜良」に対し、こんなにも強い高校生がいるのだろうかと驚いた。

 

読み進めるうちに、私は自分の人生をいかにつまらなくしているのだろう、と気付かされた。思い悩んでも解決できない事は世の中にごまんとあり、だったら悩む時間を自分が幸せになれる使い方をすればいい、という考えで生きている桜良が羨ましくなった。

 

病気ではなくても自分にだって寿命はあり、限られた時間の中で生きているのである。普段から忘れているこういった意識を忘れずに、私も咲良のように前向きに生きていく希望をもらった。

 

可哀想な悲劇のヒロインに同情し、涙を誘うストーリーと当初は予想していたが、若き少女ヒロインの生きることへのひたむきさ、自分を愛してくれた人への恩返し、その純粋さに涙することとは読む前は微塵も予想していなかった。

 

読破後に、今後の自身の限られた人生について、どう使っていくかを改めて考えさせられるとは思わなかった。生かされているのではなく、自分で生きていこうと思う作品であった。

 

(20代女性)

>>住野よる作品の読書感想文はこちら

 

 

映画を見る前に、先に本で読んでいたい。そう思ったのがきっかけでこの本を手に取った。はじめはタイトルの意味がわからなかったのを覚えている。ただ、その意味がわかったとき、私は大粒の涙を流した。

 

物語の序盤は、難病を抱えているこの話とは思えないほど、明るく楽しげに描かれていた。膵臓のこともジョークにしてしまうような彼女に、私も惹かれていたのかもしれない。ただ、その明るさの中にも見え隠れする戸惑いや不安も本当はあったのだ。

 

彼女は実は元気なのでは?と錯覚する場面もたくさんあって、でもそれは彼女が日常を手放したくない、という切実な思いから自分自身で作り出していることなのだ。それがわかり始めたとき、とたんに読み進めるのが怖くなった。ずっと彼との何気ない会話を楽しんでいてほしいと思った。

 

私はてっきり、この二人は恋人同士になるものだと考えていた。しかし、友達や恋人という言葉では片付けられないほど、もっと特別な間柄だった。秘密を共有する者同士、素敵な関係だ。二人のやりとりには、時々もどかしさを感じていた。二人とも余計なことはたくない言うのに、肝心なことを隠してしまう。

 

本当にそれでいいの?誤解されてしまう、と変に焦ってしまった場面もあるくらいだ。ただ、そんな私の心配はよそに、二人はちゃんと繋がっていたのだとわかった。それは、最後の日記、彼女が遺した遺書を読んだときだ。お互いに惹かれて、憧れ合って、好きになる。好きというのは、友達や恋人としてというのとは少し違う。

 

もっと大きな力で二人は結ばれている。結ばれる運命だった。お互いにお互いを必要としていて、自分で選んで会った。二人の最後の言葉「君の膵臓を食べたい」を見たときは鳥肌が立った。そういうことだったのか。今までたくさん本を読んできたが、タイトルに涙したのは初めてだ。

 

彼女の最期は思いもよらない形だったが、心が通じ合えて本当に良かった。彼と出会った彼女は最高に幸せだったと思う。

 

(20代女性)

>>住野よる作品の読書感想文はこちら

 

 

膵臓の病気で余命僅かな少女桜良と、少女の秘密を知る唯一のクラスメイトの少年の話である。病気の話を読むと一日一日を大切に生きなければならないと思うことが多く、この本の読後も「今日という一日を大切に生きよう」と思わされた。

 

一日の重さというのは余命僅かな少女でも健康的な人でも変わらないはずなのに人はそれを普段意識していないと桜良の話を聞いていて改めて感じた。図書委員として図書室の整理整頓をしている際、秘密を知る男子生徒から、余命僅かなのだから死ぬ前にやっておきたいことをやらなくていいのかと問われた桜良が「君も死ぬまでにやりたいことはあるでしょ。

 

でも今それをやっていないじゃん。」と返したときにハッとした。確かに今私は余命を言い渡されている身ではないし、何事もなければ何十年もの時間がありやりたいことをする時間もたくさんあるのだが、明日かもしかしたら数秒後に命を落とす可能性がゼロではないはずなのに当たり前に何十年も生きていくことを想定して死ぬまでにやりたいことを今すぐにしていないなと感じた。

 

人はいつか必ず亡くなるのに、いつ亡くなるかをわかる人はいない。余命1年といわれた人と、健康体な人では10年後に生きている確率は異なると思いますが、明日生きている確率は同じなんだと思う。命において明日のことほど不明瞭なことはないなと感じた。

 

余命1年と宣告されたとき「あと1年しか生きられない」と思うとともに、どこか「あと1年生きられる」と思ってしまうところがあるが、どんな状況でも明日のことはわからないし変わることもないものだと思う。

 

だからこそすべての人が今日が人生最後の日になっても悔いの残らない生き方をすべきとも思うし、逆にすべての人が何日も生きていくことを想定し、特別なことをせずいつも通りに生きていく権利があるのだと思う。

 

桜良は一見一日の重み、命の重みを理解しているように思えた。おそらく同年代の健康的な学生たちよりは日々を大切にしていたと思う。ただ、余命1年未満というものであって「今日が最後」と常に思っているわけではない。最後桜良は悔いの残らない人生だったと思ったのだろうか。

 

そんなことを考える暇もなかっただろうか。結局人は死ぬまで一日の本当の重みに気づくことはないのかもしれない。それでもこの本を読んだのだから、今までより一日を大切に過ごしたいと思った。

 

(20代女性)

 

 

 

 

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

 

 

 

5 件のコメント

  1. 匿名 より:

    それなw

  2. 匿名 より:

    人気者だからこそ、死後に忘れられることをおそれたのでは?

  3. 匿名 より:

    それな

  4. 匿名 より:

    じゃあ自分が書けよ

  5. 名無し より:

    ヒロインが僕といる事で恐怖を紛らわしてるという文に違和感を感じます。恐怖という感情より、僕を知りたいという感情、憧れ、などの興味の気持ちで彼と一緒にいると残した本に記されています。それに彼女は悪い意味でなく自分がいわゆる人気ものだと確信しているので死後に忘れられるなんてことを考えていたとはとても思えません。もう少しちゃんと読んでください。

コメントを残す

シェアする