「君の膵臓をたべたい」の読書感想文①
「君の膵臓をたべたい」一発目のインパクトにやられた。なんの本なんだろう。カニバリズム的な類なのか。それにしては桜色の淡い色調の表紙につかず離れずの高校生の男女がふんわりと描かれている。完全なるジャケ買いだった。金額や手に収まるサイズ感などから文庫本が好きな私としては珍しい買い物だった。きっと恋愛ものだろう。
でも恋愛の中で膵臓が食べたくなる感情って? なんとなくいつもはしてもらわないブックカバーを店員さんに頼み、多少過激とも思われる表題を隠した。帰宅までそわそわとした気持ちを抑えられず、私は電車の中でそっと表紙を開いた。主人公は「君」と示されたり、「クラスメイトくん」と呼ばれたり、「×××」と隠されたりしながら最後まで名前が出て来ない「僕」。
そして共病文庫の持ち主であり、膵臓に疾患を患い僅かな余命を満喫しようとしている山内桜良。「僕」は病院でふと目にしたノートを見つけた。表紙には共病文庫。なんとなく開いたそこにはクラスメイトである山内桜良は余命が残りわずかだということを知る。
思いがけず秘密を知ることになった僕は、半ば強引に彼女の「死ぬまでにやりたいこと」を遂行する相棒として振り回されることになる。少し引っかかったのはとても大人びた言葉を使う高校生達だな、ということである。僕、は他者とのコミュニケーションを極力避け本の世界に没頭していただけに論理的かつ冷静。
彼が大人びた(ある意味古めかしい)言葉を使う事にはなんら疑問はなかったが、気になったのは山内桜良である。自身の疾患や死を自虐的に、きっとこれ以上ないレベルのジョークにして飛ばす。そしてドヤ顔をかます程である。これこそブラックジョークというのかと感服した。それに対して僕は死に対する軽々しい言動に逆に戸惑ってしまう反応すらある。
そしていつも明るく、死というものに独特な価値観を持つ。この年代に余命宣告をされれば完全にうろたえ泣きわめく日を過ごしそうだが、そうではない。この子、本当に死ぬのかな? と思わされるぐらい活発なのである。しかし、後半になって感じる明るく活発な彼女の背中から見え隠れする死への恐怖。ああ、やっぱり怖いよね。ここでなんとなくホッとした自分がいた。
死が怖くないわけがない。ましてや高校生、これからの生活がキラキラ輝いている年代だ。彼女はひとりが、そして忘れられることが怖いのだ。彼と一緒にいることで心を蝕む恐怖を払拭しようとしているのだ。そう考えると切なくて仕様がなかった。死ってすぐ傍にある。明日、明後日、何年後、ゴールとして確かにある。
しかしそこまでのプロセスがよく見えないがために蔑ろにしてしまう。考え直そう。明日あたりにでも出不精な彼を誘って、ホルモンを食べながら「私が病気ならどうする?」と聞いてやるのだ。きっと彼はうろたえるだろうがそれでいい。お互いをもっと大事にしよう。いつ死ぬか分からないなら必死に今を生きて、君を大切にして愛を語る。
読んだあとはそんなほんのり寂しい気分だった。少し自分に触れる人を大切にさせてくれる、そんな気持ちにさせられる本だった。
(20代女性)
ヒロインが僕といる事で恐怖を紛らわしてるという文に違和感を感じます。恐怖という感情より、僕を知りたいという感情、憧れ、などの興味の気持ちで彼と一緒にいると残した本に記されています。それに彼女は悪い意味でなく自分がいわゆる人気ものだと確信しているので死後に忘れられるなんてことを考えていたとはとても思えません。もう少しちゃんと読んでください。
じゃあ自分が書けよ
それな
人気者だからこそ、死後に忘れられることをおそれたのでは?
それなw
ちゃんと読んで下さい。だと?読み方なんて人それぞれだろ。お前こそもう少しちゃんと考えてから言ってくださいwww
お前みたいな自分の考えを押し付けるような奴が1番嫌いやわw何様や。どれ読んでもしっくりくるわ。お前みたいな奴に貶されて可哀想。