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読書感想文「彼女のこんだて帖(角田光代)」

読書感想文「彼女のこんだて帖(角田光代)」

「彼女のこんだて帖」の読書感想文②

疲れているときには精の付く食べ物を食べたほうがいいという言葉を聞いたことがある。そこにあるように食事というものは、自分の体の一部となり命となるのだと頭では分かっていたのだが、作品を読んで再度認識することが出来た。
 
また、食べている時間というものは日々の生活の一場面ではあるが、そこにも意味があり、その瞬間同じ場面はないのだと考えることが出来た。私には思わずホッとする味というものがある。それは茶碗蒸しであり平凡なだしの味ではあるのだが、思い出を含めてホッとする味なのだとこの本から感じた。
 
両親が作ってくれた味、というだけではなく、なにかと難しい思春期にも、変わらず両親の料理を食べていた。ずっと悩み続けているわけではなく、いつかは解決しているその頃の悩みは、解決した時ももちろん両親の料理を私は食べていたのだ。悩んでいるときも、嬉しい時もそれぞれに違う食事や味があって、経験と同じで、自分の中に積み重なっていき、成長のために必要なものなのだと思う。
 
だからこそ、思い出と共に味を覚えており、将来何かがあっても、この味があれば気持ちが変えられるという料理があるのだろう。食べる側であった私も、今は作る側に立つことが多い。この作品を読み進んでいく中で、私は無意識のうちに作る立場の自分を思い返していた。というのも、彼へ手料理を作る機会というのが多かったのである。
 
そのときは何を食べても「おいしい」という通り一遍の言葉しか言わない彼へ、納得できないような感情を持っていたのだ。しかし、作る側の思いと共に、食べているときの日常というものが料理には大切な味となるのだと知ることが出来た。食べる側がいてくれるからこそ、料理をするのだ。
 
毎日のことであるからこそ、料理を仕事と認識し、食事を作業と思い込んでいたのだと分かった。誰に何を食べてほしくて、どんな日で、どれだけ相手の食べている姿を見ていたか、ということを考えさせられ、忘れていた大切な感情を思い出すことが出来た。相手のために、相手の体調を考えて作るということが最初だったのだが、いつの間にか当たり前になってしまっていたのである。
 
日々の生活の中で、同じ食事をとることはあっても同じ会話をしていることは無い。ならば、その時間新しいものを得ているのだと考えられるようになった。相手のためではなく自分のために料理をすることもあるのだが、私にとってはその時の味も、いつか食べてくれる相手のための時間となるのだと思う。
 
この作品から、当たり前に送っている日々の日常の中にも得るものがちりばめられており、同じときは一時ともないのだと実感することが出来た。だからこそ、毎日の食事だけでもおざなりにせず、新しいものを得ていこうと、会話を楽しみながら行うことを心掛けている。いつかこの日々を糧とし、未来に大きな影響を与えるものを私も残したいと思う。
 
(20代女性)

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