読書感想文「山月記(中島敦)」

私はこの作品がすごく好きだ。誰でも持っているプライドや羞恥心などのマイナスな部分を描いている作品だからである。私自身は特別な特技を持っていたり、高学歴だったりするわけではないので、主人公のように役人としての人生が満足できずに詩人になるという選択肢はないだろう。

 

でも、多かれ少なかれ人は誰かと何かを比べて一喜一憂したり、劣等感を感じてしまうからこそ挑戦できないことや言わないことってあると思う。ただ、この主人公のような人生を送っていたら本当に山の中で姿を消してひっそりと暮らすことをしてしまうかもしれないと思った。

 

というのも、主人公は若いときは役人で見た目も良くて何でも特別努力しなくても出来る存在だったわけであるから、詩人として失敗して見た目も変わり気づけば自分が馬鹿にしていた人間が出世をして認められていたら、虎にならなくても目の前には現れないのだろうと思う。

 

ただ、今の世の中で考えてみれば、転職をしたり、人生をやり直す人はとても多い。離婚をする人もいるし、子供を持っている人と結婚をするように環境を変える方は多くいることも事実。そう考えた時に、この主人公は再出発するチャンスがなかったのは可哀そうというよりも神様は残酷だなと思った。

 

作中で主人公は何歳で虎になるのかはわからないが、友人が役人として現役で仕事をしているぐらいの年齢なのだからきっと現代の社会であれば再就職して新たな人生をやり直すことができたと思う。もしかしたら、役人でも詩人でもなく、もっと別な職業で成功して妻子を幸せに出来たのではないかとさえ思える。

 

私が妻であれば、もしかしたら職業訓練所なんかを見つけてやり直すか、それこそプライドが高い旦那ですから異国の土地に行って彼のことを知っている人がいない土地でやり直すぐらいのことをしているかもしれない。そう考えると私たちの人生は気が付いた時からリスタートが出来るのである。

 

この作品では主人公は虎になったときに生きて来た人生を後悔し、最後に友人に詩を託す。もしかしたら、それも主人公なりのリスタートなのかもしれない。もちろん、人間に戻れたわけでもないし、その詩がそのあと有名になったわけでもないが、私たちは気づいた時からやり直せるんだというメッセージを、私はこの山月記で感じることが出来た。

 

この主人公が友人に会えたことはもしかしたら、神様がくれた最後のチャンスだったのかもしれない。自分で何かに気づくことは大人になればなるほど難しいと思う。水に映った自分の姿を見て主人公が驚いたように、自分が描いていた将来と実際が違う人も多いと思う。

 

でも、思い描かなければ何も始まらない。改めて今の自分の生き方に向き合うことが出来て本から良い刺激を受けることができた。この人間味あふれる主人公に出会えて失敗しても突き進む強さを持とうと思うことができた。

 

(30代女性)

 

 

臆病な自尊心と尊大な羞恥心、これは少なからず誰の心にもあると思う。少なくとも私の心にはある。唐の時代、李徴は郷里の秀才であった。彼は役人の身分に満足できず、官職を辞し、詩人として成功させようとする。

 

しかし、うまくいかず、挫折してしまう。その後また、役人になるが、かつて李徴が自分より能力がないと思っていた人たちの下で働かなければならなかった。彼はそれが耐えられなかった。そして、ついに彼が仕事で地方に行ったときに発狂し、いなくなってしまった。

 

李徴の数少ない旧友である袁慘が、仕事で人の少ない道を通っていた。そのときに李徴が人食い虎となって姿をあらわした。そのときに話したもののなかに、臆病な自尊心と尊大な羞恥心という言葉がある。自分の心のなかにある臆病な自尊心と尊大な羞恥心を制御できず、心の中の虎が、自分を本物の虎にしてしまったのだという。

 

一般的には、臆病な羞恥心と尊大な自尊心のほうが合う気がする。しかし、李徴はみずからを虎にしてしまうほどの尊大な羞恥心と臆病な自尊心を持っていたのだ。きっと自分には才能がある、そう思いたいと思う気持ちがある。

 

そして反対に、自分には才能がないかもしれない、それを知られなくないと思う気持ちがでてくる。いや、やはり自分には才能がある。ということをえんえんと一人で考える。才能がないかもしれないと思うとますます人と一緒に交流することを避ける。

 

そして、ますます心の虎は大きくなる。このプライドの高さが李徴を虎にしてしまったのである。私は自分の弱い部分、できない部分を人に知られるのが嫌である。李徴とは違い、別に自分に才能があるとは思わないが、できない人と思われるのが嫌なのである。

 

李徴と同じで、プライドが高く、自分のなかに、臆病な自尊心と、尊大な羞恥心があると思う。けれど、人との交流を避けるわけではないし、プライドが高いこともあまり知られないようにしている。自分のなかに李徴と同じ心があることを自覚することで、逆に心のなかの虎が大きくならないように、制御できているのかなと思う。

 

李徴はとても臆病で繊細すぎたんだろうなと思う。人間の世界では繊細すぎる人は実に行きにくい社会であると思う。山月記は、私に自分の心のうちを教えてくれた大事な一冊である。

 

(30代女性)

 

 

 

 

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1 件のコメント

  1. 大川秀康 より:

    私はこの山月記は高校の国語総合で習ったが、作り物作品なのでどうしても矛盾を感じずはいられない。古代中国、ハンティングして食料としてうさぎを食べるのは人間も同じ、虎だけではない。

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