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読書感想文「赤毛のアン(ルーシー・モード・モンゴメリ )」

「赤毛のアン」の読書感想文①

「赤毛のアン」は、孤児院育ちの赤毛でそばかすのある女の子、アン・シャーリーの成長物語である。物語はアンがマリラ・クスバート、マシュウ・クスバートの兄妹の家庭、グリーン・ゲイブルスに間違われて引き取られたところから始まる。

間違いで引き取られたため、はじめは返されそうになるが二人ともだんだんとアンの魅力に魅かれ引き取ることに決めるのである。

アンは、想像力豊かでおしゃべりでとても頭の良い女の子だ。想像力豊かに様々なことを考えてしゃべったり、いろいろな場所に自分なりの名前をつけたり…。そんなかわいらしくて面白いところにマリラとマシュウは魅かれたのだろう。

私がこの作品を読んだのは中学生の時だ。当時の私は、特に楽しいと思えることもなく、自分に自信のない女の子だった。そんな時に母親のすすめでこの作品に出会ったのである。私はすぐに作品の魅力に引き込まれアンが大好きになった。

アンは赤毛とそばかすが大のコンプレックスである。私にも、自分の中で嫌いな部分がたくさんありアンとは違う部分ではあったが同じような気持ちだった。そのため、すぐにアンに感情移入できたのだ。

そのコンプレックスを抱えたアンがその持前の想像力で人生を楽しく生きている姿をみて、私もなんとなく人生が明るくなったのを覚えている。

何か嫌なことがあってもアンのことを思い出すとくすっと笑えたり、世の中の嫌なこともおもしろおかしく想像することでどうでもよくなったりできたのである。そして今でも、心の片隅に常にアンがいる。

当時と今では、悩む内容や大きさは異なるが悩みがなくなることはない。そんな時には、自然とアンのことやアンと出会った当時のことをふと思い出し乗り切れるのだ。

この作品に出会えていなかったら、今ほど人生を明るく過ごせていなかっただろう。言ってみれば、アンが私の人生を変えたのである。

(20代女性)

「赤毛のアン」の読書感想文②

私がアンと出会ったのは小学3年の頃である。内気で本を読むのが唯一の楽しみであった私は、父から与えられたこの本にたちまち魅了された。

孤児院にいた一人の孤児アン・シャーリーが、プリンス・エドワード島のグリーン・ゲイブルスに住んでいるマリラとマシューの兄妹に引き取られるところから始まる。

アンの良い友人といえば、誰もがダイアナ・バーリーを連想するだろう。私も子供の頃はダイアナが一番の友人で、今でもアンにとってかけがえのない、腹心の友であったという考えは変わっていない。

しかし、成人した私にとって、今も何故かひっかかる存在があった。ジョシー・パイである。私は、ジョシー・パイのようなタイプが苦手だった。アンを魅力的であると思うと同じくらい、彼女を遠ざけたい気持ちがあった。

単純に考えるとアンを応援したい感覚があったために親友のダイアナにも好意を持ったり、カスバート兄弟が良い家族で安心したりしたのだろう。しかし、ジョシー・パイに関しては違った。プリンス・エドワード島の美しい自然を持ってさえも彼女はたいした影響を受けていないように感じた。

アンが良い成績をとっても美しくドレスアップしても、他の友人達の人気の的でもジョシーは彼女を褒めたりしていない。私には、訳が分からなかった。しかし、成人した今。彼女の気持ちが少し理解出来るようになった。

彼女はもともとお金持ちで、アンと一緒にクイーン学院に行くのは教育を受けるだけのためで、孤児と違って生計を立てる必要がないからというような人間だ。

一方、アンが引き取られたのは農家を営むカスバート家。カスバート兄妹は老齢の域にさしかかっており、つつましく生活していた。

クイーン学院の学費も、女の子にもひとり立ちをする準備の為に教育が必要だという考えがあって、アンの為に貯めたのだ。アンは二人の思いに報いて、一番の成績で入学試験に合格した。アンが他の人達から褒めたたえらるのも無理はない。

アンが必死になって努力を重ねていてもジョシーが彼女に優しく出来ないのは、彼女が大切にしているものをジョシーが手に出来ない為ではないかと思う。ジョシー・パイの家族は、家柄や資産を大切にしている。

経済的には断然アンより上で、流行の衣装をすぐに誂えてもらえるしアンより魅力的だと思っている。しかし、初めて学校に来た時からアンに嫉妬するようになった。孤児院出身だと言う事はアボンリーの誰もが知っている。

みすぼらしい何の飾りもない洋服を着て、赤い髪の毛をしている娘があっという間に人気者になったのだ。これまで普通の暮らしをしていたと信じていたジョシーにとっては、青天の霹靂であったことだろう。

彼女は学校の皆にちやほやされたことなどない。最初の日だけだと思っていたら沢山の人達に迷惑をかけたにも拘らず、彼女を嫌いな人がいないのである。この点ではジョシーは敗北を認めるしかない。相当努力しても追いつけないだろう。

何故かと言うと彼女は自分が好きだと思う事をしていないからだ。もちろん、これまで自分が良いと思った事をそれなりに選択して行動しただろう。しかし、それは家族の影響もあるし体裁も考えての事だ。特に勉強が好きだからクイーン学院に行くわけではない。

学校の友人達には、孤児院にいた娘より裕福な家庭に生まれた自分の方がふさわしいと思っていただろう。一方、アンは最初からアボンリーのグリーンゲイブルスで暮らすのを熱望していた。引き取ってくれたカスバート兄妹と夢見ていた生活をし教育も受けさせてもらえる。

生みの親以上に可愛がってもらい学校の友人達とも有意義な時を過ごし、たくさんの友情を得る事が出来た。ジョシー・パイは、意地悪な性格だが、受身の生活を余儀なくされていたに違いない。

他の友人達の方が自分の好きな事を良く分かっているし将来の展望もある。ジョシーは特に好きな事はないが、そんな友人達の事は理解出来る。だが、アンについては理解出来ない。孤児院出身の者が人並みに家庭で愛され高等教育を受けられるようになるなど、考えもしなかったのだろう。

誰からも人気がある娘だと感じているからこそ、自分だけは思うままにならないという事を言ってやりたいと思ったのかもしれない。普通は誰も言わないと思うような事をジョシー・パイは平然と言ってのける。

作者のモンゴメリが一番愛情を抱いていた登場人物は、もちろんアン・シャーリーだと私は思う。彼女は本当に前向きに行動し、自分が選んだ人生を享受している。ジョシー・パイはその対極だが、そう思うと彼女のような人間も哀れに見える。

しかし、物語の敵役には彼女ほどうってつけの人物はいない。無二の親友にはなれないものの圧倒的な存在感である。

それは、ポテトサラダに入っている林檎や酢豚に入っているパイナップルと同じようなものではないだろうか。彼女のような存在がいてからこそ、アンの前向きさに共感することができた

(40代女性)

「赤毛のアン」の読書感想文③

図らずしてこの本と出会い、私は心をわしづかみにされた。離れて暮らす愛娘へ、読んでほしいとの思いからインターネットで購入したのだが、私のささやかなミスで二冊届いた。

子ども時代に読んだ「赤毛のアン」の世界にあらためて足を踏み入れた。教師であった著者が、故郷を舞台に生み出した物語が赤毛のアンである。

この本の素晴らしさを大きく二点挙げると、極めて現実的な登場人物と、メルヘンチックな世界観とのギャップ。そして、読者が主人公アンの運命に導かれ、行き急ぐかのようなストーリーにある。

物語の象徴でもある「グリン・ゲイブルズ」に暮らす兄妹は、老いを感じつつも平凡な生活に満足していた。そんな二人のもとに「手違い」でやってきたのが、みなしごの少女アンである。

変わらない毎日を送っていた農夫の兄マシュウだが、瞬間的にアンを受け入れ、互いに通ずる何かを感じとったように思える。一方、潔癖で淡白な妹マリラ。渋々アンを受け入れるのだが、その決心に至るエピソードたるやいかにもこの性格らしい。

グリン・ゲイブルズで始まったアンの新生活において、欠かせない人物、それが腹心の友ダイアナである。私の最も好きなシーンが、この二人の誓いだ。

いちいち大袈裟過ぎるアンと、それを受け入れ楽しむダイアナの、子どもらしさがとても美しい。ある日、楓の枝を抱えて帰って来たアンが、「みてちょうだい。スリルを感じないこと?つづけざまに、ぞくぞくっとしないこと? 私の部屋にさしておこうと思うのよ」などと。

自身の想像力と大業な物言いを自覚していて、おもしろがっているところも魅力のひとつである。まるで、アンがくるくると回りながら眼をきらきらさせている様子が目に見えるようだ。

物語の舞台は、森や牧場、畑や小川のある美しい小さな村から、馬車を走らせ数時間かかる人々の行き交う町へと次第に範囲を広げていく。

アンは、初めて見る世界でも、興奮こそすれ決して逃げる事をしない。怖じ気づいた時、マリラやダイアナ、そしてマシュウに弱音を吐いてしまうと、後は自分で考え、一人でも生きる強さを持っている。アンは私に力強い勇気とエールをくれたと思う。

(30代女性)

「赤毛のアン」の読書感想文④

「赤毛のアン」は、アンのようになりたいと感じられる物語である。読み始めたのは中学生の頃、最初はアンが起こすいろいろなハプニングを楽しく読んでいたが、だんだん慎ましい生活ながらも想像力豊かに明るく過ごす所が好きになった。

自分も親にかわいい服をあまり買ってもらえなかったり、クラスメイトに少し意地悪を言われて困ったりした時に、アンを思いだし多少想像して気分を変えてみるようになった。劣等感を感じてばかりいたので、想像力で乗り切るアンのようになりたかったのだと思う。

大人になってからこの本を読むと、話の中に出てくる生活感に憧れるようになった。景色や部屋、お料理・服の描写が鮮やかで、実際にカナダに行っていなくても、どんな暮らしかイメージしやすかった。

自分の部屋に花を飾ったり、お菓子をつくるようになったりしたのはその影響である。ハンドメイドや田園風景の良さを教えてもらえたように思う。

子どもを授かり、またこの本を読んだ。すると思わず冒頭から涙が出てきた。孤児院から来たアンの心細い気持ち、もし子どもがこんな経験をしたら、いや子どもを残して悲しい思いをさせたくない。

男の子の養子を希望したが、女の子のアンを静かに受け入れたマシュウのように、自分も子どもを見守り受け入れているだろうか。アンを躾けるマリラの心の葛藤やアンへの思いにも、改めて気づかされた。

この本は、いろいろな話が出てくるが、その一つ一つから、アンの成長やより深くなる愛情が感じられるようになったのだ。本を通して、親や子ども、友だち…人の気持ちに少しは気づけた思いだ。

自分の状況が変わると本の印象も変わることを、この本によって発見し驚いた気分である。最後のマシュウとの別れの場面では、今読んでも切なくなる。アンとマリラの哀しみが伝わってきて、自分の過去の経験と重なってしまうのだ。

しかし、アンが進学よりもマリラを支えることを選んだ所になると、アンの心の強さや優しさを、自分も見倣いたいと思うようになった。言うは易し行うは難し、これからも赤毛のアンを読み続けて、アンのようになりたい思いを忘れないようにしたい。

(40代女性)

「赤毛のアン」の読書感想文⑤

NHKの「100分de名著」という番組で紹介されていて興味を持ったのが、この作品を読み始めたきっかけだ。有名な作品だが、今まできちんと読んだことはなかった。主人公に対する最初の印象は「よく喋るうるさい女の子」であり、あまり良いものではなかったのが正直なところだ。

ページの半分以上がアンの台詞というときもあり、実際にこんなおしゃべりな人が周りにいたら私は友達になれないだろう、とうんざりもした。

しかし、読み進めるにつれその印象が180度変わっていったのである。第三章「マリラ・クスバートの驚き」で、アンを追い返そうとするマリラに対しアンは泣きながら、あなただってこんな悲劇的な目にあったらきっと泣くでしょうよ、と反論した。

孤児で弱い立場であるアンが、引き取り手の大人にはっきりと自分の思いをぶつけたことにとても驚いたが、その後マリラに自分を今日だけコーデリアと呼んでほしいとお願いしたことには、もっと驚いた。

このようなシリアスな場面で、自分の呼び方がそれほど重要とは思えないので冗談かと思ったが、アンにとっては最重要事項らしい。

その理由はグリン・ゲイブルスに居られる唯一の日を、自分の好きな名前で過ごしたいというものだ。なんてユニークで、健気な女の子だろう。この状況で自分の希望を少しでも叶えようとする、彼女の生きる強さも感じられた。

グリン・ゲイブルスでの生活が始まってからもアンのお喋りは相変わらずだが、その内容は自然への賛美や周りの人への思いやりにあふれていた。

この作品の魅力の一つであるプリンス・エドワード島(アヴォンリー)の自然の美しさは、アンの口を通して語られる。彼女の想像力にかかればどんな平凡な湖も森も物語に出てくる場所になってしまい、とても魅力的で「行って見てみたい!」と思わされるのだ。

またマリラ、マシュー、レイチェル夫人、ダイアナなどアンの周りにいる人物はみなひと癖ある。長所も短所もある登場人物たちは、これこそ個性的と言わざるを得ない現実にもいそうな人々だ。

彼らと付き合っていくアンも非常に個性的だが、彼女は決して彼らを排除しない。嫌なことを言われても、最終的には仲直りして彼らの存在を自分の世界に認めていくのだ。

この他人への優しさ、寛容さがアン最大の魅力であり気が付いたら私は彼女のことがとても好きになっていたのである。

(20代女性)

「赤毛のアン」の読書感想文⑥

この物語は、決して派手ではない。でも、何度でも読み直したくなる。その理由は、ヒロインのアンが多くの事を教えてくれるからだ。彼女のようになりたくて、何度でも読み直してしまう。彼女の生い立ちを知った時には、その境遇に同情した。

そして、見知らぬ老兄妹に引き取られた彼女を不幸だと思っていた。だが、読んでいくうちにその考えは変わっていった。なぜなら、アンは決して不幸ではなかったからだ。彼女の言葉は、いつも希望に満ちている。

彼女を勝手にかわいそうな少女だと思っていたのが、なんだか申し訳なく思えたぐらいだ。たとえば、人生には曲がり角がつきものだ。曲がる勇気がないから、多くの人は立ち止まってしまう。だが、それさえもアンは楽しんでいた。

彼女は、曲がり角を曲がった時には一番よいものがあると信じて疑っていない。自分の手で未来への扉を開く事を、誰よりも知っていたのだ。だから、彼女はどんな時にも希望に満ちていたに違いない。そして、想像力の豊かさも彼女の魅力だ。

どこからそんな事をと思うぐらい、彼女の想像力は果てしない。もしかすると、空想する事で彼女は孤独に陥らずにすんだのかもしれない。彼女は、幼いながらも自分で寂しさを乗り越える術を身につけていたのだ。

アンの前向きな言葉や行動は、周囲の人も変えていったように思える。特に変わったのは、マリラだ。当初は、アンに対して厳しすぎると思った。ブローチの時だって、アンを信じてあげればいいのにそうしなかった。

やはり、血の繋がりがないからなのかとと思い腹が立った。だが、次第にマリラはアンを受け入れていった。それは、頑なだったマリラの心が柔らかくなった証拠だ。マリラを変えたのは、アンがいつでも笑顔を絶やさなかったからだ。

たとえ失敗をしても深く落ち込む事はなかったし、誰かを憎む事もなかった。そんなアンの姿が、マリラには愛しく見えたのだと思う。救われたのは、もしかしたらマリラの方だったのかもしれない。次第に愛情を示すようになった彼女は、まさに理想の母親そのものだった。

アンがケガをした時に、あれほど必死だったのは彼女が何よりも大切だからだ。何気ない日常から、幸せの在処を教えてくれた。ささやかな日々がどれほど尊く貴重なのかを。そして、哀しみから目を背ける事ができない事も教えてくれた。

育ての親であるマシューが亡くなった時、アンは自分がどれだけ愛されていたのかを知ったのではないだろうか。人が成長するという事は、多くの喜びと哀しみが必要なのだという事をアンが教えてくれた。

(40代女性)

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3件のコメント

読みたい本が沢山ありますね。
沢山のコメントを見ると更に興味が湧きます。

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